天一国時代の祈祷・人は何のために祈るのか

   【天一国時代の祈祷・文鮮明師のみ言選集より】 

 🌺プロローグ

  去る二十世紀は目覚ましい科学の発達によって、人間の生活条件が大きく向上した世紀でした。しかし、その一方では、世界的紛争と道徳的退廃の世紀でもありました。科学と文明の発達は人々に豊かな暮らしを提供した反面、自然環境の破壊、地球温暖化、大気中のオゾン層の破壊など、地球レベルの問題を引き起こしました。一方で、産業化と現代化が進む中で家庭の秩序が崩壊し、麻薬中毒、性道徳の紊乱(びんらん)、暴力や犯罪といった深刻な問題が人類の未来を脅かしています。

 

 人間がさまざまな面で平和と真の幸福を追及してきましたが、満足できる成果を挙げることが出来ませんでした。悲惨な第二次世界大戦を経験する中で、深い反省のもとに創設された国際連合が展開してきた世界的な活動も、人類を平和な世界に導くことはできずにいます。宗教団体の努力によっても、真の幸福の世界は実現されていません。また国際共産主義全体主義ファシズムによっても、理想世界は実現できませんでした。高度に発達した科学技術によっても、政治的・経済的な努力によっても、人類に平和と真の幸福をもたらすことはできませんでした。

 

 人間の真の幸福と平和世界の実現は、個々人の道徳性と霊性の回復を通して得られるものです。世界の平和も、国の平和も、結局はその構成員である個人と家庭によって成されるからです。科学や技術も善なる人々によってこそ、人類全体の幸福を目的とした「義」なるものとして用いられるのです。

 

 現代社会を生きる私たちは、明らかに物質的な豊かさの中にいます。肉身は満ち足り、環境は華やかです。しかし、私たちの心霊は渇きつつあります。生命の価値を凌駕(りょうが)する愛の貴さは色あせてきています。人々の情は薄れ、その関係は断絶しています。今こそ、食べる物でお腹を満たすことに満足せず、愛とみ言(ことば)で心霊を肥やさなければならないはないでしょうか。

 

 祈祷は信仰生活の命とい言えるものですが、決して宗教的なものだけに留まるものではありません。神様についてよくご存知である文鮮明師が、心の奥深くに潜む神様と、私たちをつなぐ祈祷と精誠について提示なさった指針は、日常生活にも何かヒントを与えてくれることと思います。

 

 

   ☆☆☆《心を開発する》☆☆☆

 人間は制限された存在です。皆さんの人格は制限されているのです。ですから、無限なる作用の領域にどのように入って接触するかという問題について考えると、固着した意識観念をもっていては自己主管は不可能なのです。それゆえ、仏教を信じる人々は座禅を通して無の境地に入ろうとするのです。

 ですから、人間は何かということを考える前に、まず人間の「心」がなんであるかということを自覚しなければなりません。自分が何かということよりも、「心」は何かということの方が大きな問題なのです。「私」は、心と体でできています。では、そのような「私」から体を取ってしまった「心」とはどのようなものでしょうか。しかし、それがどのようなものであるという認識が、自分によって意識されたものであるならば、それは完全なものではありません。無我の境地の純粋な立場で、「私はこうだ」と意識されたものであってこそ完全なのです。そのような超自我的な境地に入らなければなりません。

 

 そのような境地に入っていくことができる人は、預言をすることができるのであり、未来を透視することができます。そのような人は堕落した環境に置かれても、自ら飛び出して生命を主管し、喜びの立場で生命をつなぎ得るのです。そのような無限に前進し得る人格観があることを皆さんは知らなければなりません。

 

 そのような土台は純粋なものです。皆さんがそこに到達するためには熱意がなければなりません。その熱意は今までの熱意ではなく新しい熱意の内容でなければなりません。ですから、みなさんはそのような熱意を育(はぐく)まなければなりません。それは何によって育まれるのでしょうか。🍀祈祷によって育まれるのです。 

(36-114 1970,11,22)

☆☆☆文鮮明師のみ言選集より☆☆☆「鮮鶴歴史編纂苑編集・成和出版社発行」

 

 

 「祈り」について、さらに分かりやすく書かれている ♦♦♦お勧めする名著♦♦♦

🌻【人は何のために「祈る」のか・生命の遺伝子はその声を聴いている】(祥伝社黄金文庫

💛バイオテクノロジーの世界的権威者・筑波大学の名誉教授・村上和雄の、遺伝子の研究を通じて、心のあり方が遺伝子の働きに影響を及ぼしていると確信するようになりました。「祈りと遺伝子」の研究は大テーマであり、そのための第一歩が本書です。

🍀代表的著書「愛が遺伝子スイッチON」(海竜社)、「人生の暗号ーあなたを変えるシグナルがある」(サンマーク社)他多数

💛宗教学者・棚次正和氏は「祈り」の共通理解を深めるための材料を提供するとともに、祈りについての誤解や無用の混乱を避けたいという私たちの願いから誕生した書物です。🍀代表的著書には『宗教の根源ー祈りの人間論序説』(世界思想社)、『岩波講座宗教2 宗教への視座』(共著・岩波書店)他多数

 お二人の共同著書となっています。

 

💛内容を一部紹介させて頂きます。

 祈るとき「祈りの主体」に関する問題です。

 あなたが祈っているとき、「誰が祈っているのですか」と、質問することは愚問中の愚問でしょう。「自分に決まっているじゃないか」、みんなそう答えるのに違いありません。

 実は、この問いへの答えはそう簡単ではないのです。「自分に決まっているじゃないか」というときの自分とは「自我」のことです。自分で意識できる自分が自我ですが、祈りは自分の自我が祈っているとふつう考えます。

 しかし、祈りの実態を見てみると、意識できる自我よりも奥にあるもの(本当の自分・真我(しんが))が祈っていると考えられるのです。分かりやすく言えば自我とは顕在意識の自分であり、その奥に潜在意識が広がっていますが、真我とは顕在意識と潜在意識のさらに奥にあるもの、いわば超意識・超無意識の自分と言っていいでしょう。

 誰が祈っているかと考えるとき、ふつうは「顕在意識の自分」が祈っていると考えます。しかし、祈りの経験に即して表現すれば「祈っているのは自我ではない」と言えるのです。

 実際、深い祈りの状態では、祈っている人が「我を忘れたような状態」、つまり無我、無心の状態になるのがほとんどです。そこに達していない祈りには自我の欲望や願望が絡みついていると考えてまず間違いありません。だから「自我は祈れない」と推測できるわけです。

 「祈っているのに少しも実現したためしがない」と嘆く人は、自我レベルの祈りだからかもしれません。それは祈りというよりも願望にすぎず、瞬間に消え去り、祈りにまで持続していないのかもしれません。ЖЖЖЖЖЖ

 

💕村上和雄氏は、人の幸福を願う善なる「祈り」「愛」「感謝」「感動「喜び」「笑い」こそ、遺伝子が目覚めるキーワードだということを述べております。最後に付け加えさせていただきました。

 

  ☘ ありがとうございました。