(仮)韓民族選民と日本民族選民の物語(19)

 🌻世界中で知らない人はほとんどいないと思います。1495年から1498年にかけて制作された世界的な傑作壁画、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」は、新約聖書の中にイエス様が拘束される前に、エルサレムで12人の弟子たちと共にした最後の食事です。

 🌻イエス様は弟子の中の一人が自分を裏切ることを予告して、「あなた方のうちの一人が、わたしを裏切ろうとしている」と言った、その直後の様子を描いています。「裏切ろうとしている」というイエス様の言葉は、普段の食事会と思っていた彼らにとって、余りにも唐突で驚いたことでしょう。その騒めく一人一人の仕草や表情の違いから、弟子たちの感情を捉えています。

 

 🌻死を意識するようになった「最後の晩餐」で、イエス様はいったい何をしたかったのでしょうか? 何を残したかったのでしょうか? テーブルに乗せられた「パンと葡萄酒」をもって、「これはわたしの肉であり血である」といって弟子たちに与え、ご自身の肉身ががこの地上からいなくなったとしても、これを飲むことで、神様と親子の関係を永遠に結ぶことが目的でした。裏切っていくことが分かっていても、イエス様は愛を与え続けたのです。

 

 🌻イエス様は十字架に登る前に「わたしは死して、三日後に復活する」と言いました。死んだ人間がどうして生き返るのか? 誰もが半信半疑でした。しかし、死の三日後、イエス様のお墓が空になっていることを発見。その後、マグダラのマリアは復活したイエス様に出会い、そして多くの弟子たちの前にも現れ、自ら復活したことを告げるのです。

 

 🌻イエス様が亡くなり、三日後に復活されたことによって、ここから人類の新しい救いの摂理が始まりました。イエス様と共に行動していた弟子たちは、メシヤを迎えるために準備された「ユダヤ教徒」ではありません。イエス様のためとか、特別な実力、社会的地位があったとか、熱い信仰をもっていたわけでもありません。むしろ漁師、取税人など社会の底辺といえる所に住む善良な人たちでした。その使徒たちがイエス様から教えてもらったこと、その行動の真実な姿を目の当たりにしたことによって、霊的に目覚めに至っていったのです。

 

 🌻そして、十字架の苦難の後、12使徒に向かい自分が生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた父の約束されたものを待ちなさい」[新約聖書の使徒行伝第一章三節]この言葉を守り、弟子たちは毎日祈りを捧げていきました。

 

 🌻古代ローマ帝国に厳しい迫害の中にあっても、信仰を守り続けた「マルコの屋根裏部屋」の話は有名です。イエス様の復活後、弟子たち120人が集まって祈りを捧げた場所です。ここに集まった人々に激しくペンテコステ(聖霊降臨)が下り、キリスト教会が誕生する大きな契機となった聖地です。

 

 🌻後に弟子になった律法学者であり、熱心なユダヤ教徒であったパウロは、キリスト教を徹底的に迫害していました。パウロの回心はダマスコへ向かう道で、復活したイエス様に出会い、「なぜ、わたしを迫害するのか」という呼びかけと、天からのまばゆい光りを直接体験したことです。人間の思想や理屈ではなくこの圧倒的な神の介入と、復活したイエス様との出会いが、パウロのそれまでの人生観や立場を180度変える決定的な理由となりました。

 

 宗教とは? 信仰とは? 人間とは? 真のお父様が「世界宗教者会議・対話と同盟」(1985年アメリカ)でのメッセージの一部を紹介させていただきます。

 

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 🌻私たち人間は自らが有限なる存在であるということを知っております。私たちは自分の運命を決定することはできないのですから、最高の力の拠り所としている絶対者に、必ず頼るようになっているのです。(略)

 🌻私は、自分自身の霊的体験と絶対者との深い交わりを通して、霊界に精通し、神の意志と愛と心情を知りました。宗教は単に真理や理論的教えであるだけでなく、人々が絶対的に信頼し、関係を持つことのできるものを見つけようとする本心の衝動に中心を置くものです真の宗教的直観は、絶対者、無限なる者に出会います。この直観によって、私たち一人一人を呼んでおられる神の召命を聞くことができるのです。そのような絶対者との本然的な交わりの状態は、どんな個々の宗教組織や形式さえも超越します。そのような状態でおいてのみ、人間は完成と幸福に到達するのです。(略)

 🌻愛と幸福と平和の理想を成すことは、孤立した個人においては不可能です。それは他者との関係においてのみ得られるものです。絶対者でさえも、他との関係を持たずに理想を達成することは不可能です。神がお一人であれば、神は誰を愛されるのでしょう。神ご自身の理想をどこに見い出すことができるでしょうか。こう考えてみると、私たちは神の創造の動機を理解することができます。神はご自身の理想を実現し、神の愛を完成するために人間を創造されたのです。神は愛と幸福と平和の理想を、地上の人間生活においてのみ実現することができるのです。

 🌻この意味において、本然の人間はどれほど貴重でしょうか。人間が神と同じレベルに立つものではありません。しかしながら、神と人間は関係を持つようになっており、究極的には一つになるようになっているのです。すなわち神と人間の関係は、親子関係なのです。ちょうど神が永遠で絶対であられるように、人間もまた神の子女として、絶対的かつ永遠なる価値を持つ存在となるのです。(略)

 

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             ☆☆☆つづく☆☆☆

 

 

                <m(__)m>

 

 

 

 

(仮)韓民族選民と日本民族選民の物語(18)

  🌻イエス様が降臨された目的は堕落人間を完全に救おうとすることにあり、復帰摂理の目的を成就することです。そのためにメシアを迎える準備をされてきました。その内容を『原理講論』(P483)「メシヤ降臨準備時代」より抜粋させていただきます。

 

 🌻律法と祭典などの外的な条件をもって、神に対する信仰を立ててきたイスラエルは、ペルシャ、ギリシャ、エジプト、シリア、ローマなどの異邦人の属国とされ、外的な苦難の道を歩まなければなりませんでした。預言者マラキを遣(つか)わされて、神がメシヤを迎え得る選民として準備をされてきたことは、前項(17)で記しましたが、イスラエル民族ではない異邦人たちに対しては、ほとんどこの同じ時代に、インドにおいては釈迦牟尼(シャカムニ、前565~485)によってインド教を発展せしめ、仏道の新しい土台を開拓しギリシャではソクラテス(前470~399)の手でギリシャ文化時代を開拓せしめ、東洋においては孔子(こうし、前552~479)によって、儒教(じゅきょう)をもって人倫道徳を立てるようにされるなど、各々(おのおの)、その地方と、その民族に適応する文化と宗教を立ててこられ、将来来られるメシヤを迎えるために、必要な心霊的準備をするように摂理されたのです。それゆえに、イエスは、このように準備された基台の上に来られ、キリスト教を中心としてユダヤ教(Hebraism)を整理し、ギリシャ文明(Hellenism)、および仏教(Buddhism)儒教(Confucianism)などの宗教を包摂(ほうせつ)することによって、その宗教と文化の全域を、一つのキりスト教文化圏内に統合しようとされたのです。

 

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 🌻メシア降臨準備時代からのユダヤ民族

 「ユダ王国ハスモン朝」が崩壊した後、ユダヤは古代ローマの属国となっていきましたが、古代ローマ帝国から指令を受けた「エドム人⦅ヘロデ王の一族、ヤコブの双子の兄、エソウ、別名エドムの子孫ともいわれている⦆が、ユダヤの王として君臨していました。

 🌻かつて、『モーセ五書』をベースに研究を重ねて生まれた「ユダヤ教」は、バビロン捕囚によって、異邦人の宗教、魔術、思想の影響を受け、少しづつ変質していったのです。さらに彼らは『モーセ五書』の他に、ユダヤ教の口伝律法(くでんりっぽう)と、それに対する学者たちの議論をまとめた『タムール』という書物を、『旧約聖書』の注釈書として書き記すようになりました。しかし、これは何度も書き換えられていくうちに、『旧約聖書』とはまったく異質なものとなっていきます。内容はビジネスの基礎、知恵、教育の土台として、現在でも受け継がれています。それを『旧約聖書』よりも影響力を持った教義として、人々に説いていったのです。

 

 🌻その『タムール』に影響された多くのユダヤ教徒が、パレスチナ地方を支配していたのです。その中でも最も保守的な「サドカイ派」、「パリサイ人」律法に基づいて過激な政治的行動をとる「熱心党」《イスカリオテのユダなど》、厳格な禁欲主義を貫いて、荒れ野で修行する「エッセネ派」などの分派に分かれていきます。それは明確な分派というより、本質を見失い、自らの正当性を主張するだけの、迷える群れの集団のようなものだったのかもしれません。

 🌻そんなユダヤの中に、モーセが説いた「原始ユダヤ教」の奥義を明かし、新しい「福音」をもってイエス様がお生まれになったのです。

 

 🌻『悔い改めよ、天国は近づいた』と涙を流し、汗を流し、天のために血を滲ませて祈るイエス様の声は、最後までユダヤ教徒には届くことなく、イエス様は十字架が待つゴルゴダの丘へと向かわれていったのです。

 

 🌻アダムとエバの堕落から始まった「善」「悪」を分別する神の復帰摂理は、ノアの家庭の心情不一致によって、サタン「悪」の侵入を許してしまい、ノアの息子、セムに延長され、アブラハム、イサク、ヤコブの氏族的復帰摂理、エジプトの奴隷からイスラエル民族を解放し、神との約束の地「カナン」へ向かうモーセの民族的復帰摂理、モーセの後を引き継いだヨシュアによるパレスチナ地方の入植、サウル王による神殿の建設、その基台の上に独り子・イエス様を送り、独り娘を送り「子羊の婚宴」をもって、国家的⇒世界的復帰の摂理へと展開されるはずでした。

 

 🌻しかし、ユダヤ民族の不信によって、十字架の道を行かざるを得なかったイエス様でしたが、その十字架の贖罪(しょくざい)により、果たしてその目的が達せられたのでしょうか。救いは霊的救いにしかなく、実体的地上天国実現に向けた、神の復帰摂理は、ユダヤ教から、新たにキリスト教を中心として、将来来られる再臨のメシアまで延長されていったのです。

 

               ☆☆☆つづく☆☆☆

 

 

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(仮)韓民族選民と日本民族選民の物語(17)

 🌻モーセが磐石を二度打つことによって民数記20・1~13】神はモーセにカナンの地に入ることはできないと言われ、ヌンの子ヨシュアを選び、彼を祭司エレアザルと全会衆の前に立たせて、イスラエルの人々を彼に従わせなさいとモーセに語られました。

 

 🌻モーセの死後、跡を引き継いだヨシュアは、イスラエルの12支族を率いてヨルダン川を横断し、神との約束の地(現在のパレスチナ地方)に入植していきます。最初のユダヤの王として「サウル」が即位し、神殿を建設して「イスラエル王国」を築きますが、偶像崇拝などの背教と利権などをめぐって、支族間の対立、紛争を起こして失脚します。これを政治的に解決したのが「ダビデ」です。ダビデは預言者、そしてメシヤ(油を注がれた者)として君臨しますが、神殿理想が未完成のまま亡くなり、ダビデの子「ソロモン王」に引き継がれます。このとき「イスラエル王国」は栄耀栄華を極めますが、ここでも偶像崇拝などによる背教行為、国政では重税、使役(しえき)などによって内乱が起こり、紀元前931年、イスラエル王国は「北朝イスラエル王国」「南朝ユダ王国」に分裂してしまいます。

 

 🌻☆北朝イスラエルは、ルベン族、シメオン族、イッサカル族、ゼブルン族、エフラム族、マナセ族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族の10支族に、☆南朝ユダ王国は、ユダ族、ベンヤミン族の2支族から構成されました。

 

 🌻紀元前8世紀ころ、メソポタミア地方に「アッシリア帝国」が勢力を拡大してきて、「北朝イスラエル」は紀元前722年、首都「サマリア」がアッシリアによって陥落。メソポタミアに捕囚され「北朝イスラエル」は滅亡しました。

このときの10支族の行方、足取りは不明で、現在もさまざまに研究対象とされて現在に至っています。

 

 🌻アッシリア軍はそのまま南下し、南朝ユダ王国まで攻めてきましたが、奇跡的にアッシリア軍を討ち倒し、危機を脱することができました。しかしその後、北朝ユダ王国も偶像崇拝などが広まり、預言者「イザヤ」等の警告も虚しく、新たにメソポタミア地方で台頭してきた「バビロニア王・ネブカドネザル」に侵略を許してしまい、多くのイスラエル人が囚人として、首都「バビロン」へ連行されていきました。これが第一回の「バビロン捕囚」です。

 

 🌻紀元前6世紀、メソポタミア地方に「アケメウス朝ペルシャ」が誕生しました。勢力を拡大し、やがて、紀元前538年バビロニア王国を滅ぼし、世界帝国として君臨していきます。

 バビロニアがペルシャによって滅ぼされた後、イスラエルに対して友好的だった「ペルシャ大王、クロス」の詔書(しょうしょ)によって、イスラエル民族は解放され、その後、長期にわたって、故郷エルサレムに帰還し、ネブカドネザル王によって破壊されたソロモン神殿を再建します。これが「ソロモン第二神殿」です。

 🌻イスラエル王国が滅びて、混乱と苦難を経験したイスラエル人たちは、神に対する背教、不信に原因があるとして、預言者マラキの指導に従って、邪神を崇拝してきた過去の罪を悔い改めながら、メシヤが降臨されることを預言されると「モーセ五書」をもとに律法を研究し「ユダヤ教」という独自の宗教体系を形成し、信仰の刷新(さっしん)運動を起こします。将来、来られるメシヤを迎える選民としての、心霊的な準備をするように摂理されたのです。

 

 🌻アケメネス朝ペルシャがアレキサンダー大王によって滅ぼされると、パレスチナ地方は「古代マケドニア王国・ギリシャ」の支配を受けます。以降、南朝ユダ王国は、アレキサンドロス大王の武将だったプトレマイオス一世が創始したエジプト」や、ユダヤ教を弾圧した「セレウコス朝シリア」による支配が続きます。古代エジプト最後のギリシャ系(マケドニア系)ヘレニズム王朝です。首都アレキサンドリアを中心に栄えましたが、有名なクレオパトラ7世の時代にローマに敗れ滅亡します。

 

 🌻「セレウコス朝シリア=ヘレニズム」によるユダヤ人への圧力が強まる一方で、ユダヤ人たちが反乱を引き起こすようになっていきました。ユダス・マカバイオスによって始まったユダヤ人の独立戦争です。長期間にわたる戦を経て、エルサレムの奪取に成功し、紀元前142年ユダスの弟、シモンのときに独立国家となり、これが古代ユダヤ人の「ユダ王国ハスモン朝=ヘブライズム」です。

 

 🌻「ユダ王国ハスモン朝」は勢力を拡大して、最盛期にはダビデ王国に匹敵するまで領土を支配し、政治と宗教の首長を兼ねる王、または大祭司として君臨していました。しかし、紀元前37年、王位継承をめぐる内紛が絶えず、これに乗じて台頭してきたローマ帝国の介入を招き、最終的にローマの支援を受けたヘロデ大王によって、ハスモン王家の当主が殺害され、これによって「ハスモン朝」は完全な終焉(しゅうえん)を迎えました。これがヘロデ王朝の「古代ローマ帝国のパレスチナ」と言われる時代です。

 

 🌹の末期、紀元前4年、☆☆☆イエス様が誕生☆☆☆されました。

 

 「ユダヤ教」から生まれたイエス様の路程を考えると、バビロンの捕囚から古代ローマ帝国のヘレニズム王朝による支配下で、本来の「ユダヤ教」の本質が見失われ、変化していったとしても不思議ではありません。

 

              ☆☆☆つづく☆☆☆

 

 

                <m(__)m>

(仮)韓民族選民と日本民族選民の物語(16)

🌻「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である[出エジプト記三章6]と、神の祝福を受けたイスラエルには、後に「イスラエル12支族」と呼ばれる12人の息子たちがいました。それは、ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、ヨセフ、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル、ベニヤミンです。

 🌻ただレビ族は祭司長として別格に扱われ、ヨセフはマナセとエフライムの二人の息子を独立させて、一般的には☆ルベン、☆シメオン、ユダ、☆イッサカル、ゼブルン、ダン、ナフタリ、ガド、☆アシェル、ベニヤミン、マナセ、エフライムが12支族といわれます。

 

 🌻後にイスラエル12支族は「古代エジプト王国」の奴隷としての生活を強いられますが、モーセの出現によって『旧約聖書』「出エジプト記」が始まります。

 

 🌻モーセの「出エジプト記」といえば、昭和生まれの私にとって記憶に残る映画の一つ、1956年のアメリカ映画の歴史映画、『十戒(じっかい)です。チャールトン・ヘストン、ユル・ブリンナー、アン・バクスターといった大スターが出演。上映時間232分。純正ビスタビジョンで撮影されたスぺクタル映画として、映画史に残る名作品の一つです。

 🌻その主題となる『十戒(じっかい)』とは、『旧約聖書』の冒頭に納められている五つの書、『モーセ五書』に記された、モーセ自らが記したとされる、イスラエルの民族の誕生から神との契約や律法(教え)について記されているものを総称して表現しています。

 

☆🦋☆モーセ五書とは☆🦋☆

創世記:宇宙(天と地)の創造、アダムとエバ、カインとアベル、ノアの方舟(はこぶね)、アブラハムやイサク、ヤコブといった族長たちの物語り、イスラエル人の起源。

出エジプト記:奴隷状態からモーセに導かれ、エジプトからの脱出とシナイ山での神と契約を結ぶ「十戒」の授与。

レビ記:祭司の務めや儀礼、民が守るべき宗教的な生活に関する神の律法。

民数記:シナイ山から始まった荒野路程40年間のイスラエル人の記録。

申命記:モーセによる最後の説教と約束の地を目前にした遺訓

 

 🌻ユダヤ教ではこれらをトーラー(律法)と呼び、最も重要な経典として位置づけています。しかし、この教義が長い時間の経過によって、本質が見失われていきます。それが後に来られるイエスを、十字架に追い込む要因となると、誰も予想だにしなかったでしょう。

 

 🌻ここで「出エジプト記」の捕捉を少し『原理講論』から抜粋させていただきます。

幕屋を中心とする復帰摂理(P371)

 エジプトからの脱出から、イスラエル民族はシナイ山の荒野に到着しました。ここでモーセは長老70人を率いてシナイ山に登って神と出会いました。神は特別をモーセをシナイ山の頂(いただき)に呼ばれ、石の石板に記録した「十戒」を受けるために、40日40夜(や)断食せよと命じられました。モーセがシナイ山で断食をしている間に、神から契約の箱と幕屋についての指示を受けました。そして40日断食が終った時に、モーセは「十戒」を記録した二つの石板を神から受けたのでした。

 🌻モーセが石板を持ってシナイ山から下り、イスラエルの民の前に出て来たとき、彼らは金の子牛を造らせ、それが、我々をエジプトから導き出した神であると言って拝んでいました。その姿を見たモーセは怒って、手に持っていた二つの石板を山の下に投げつけ壊してしまいました。しかし、神は再びモーセに現れて約束します。改めて40日40夜断食したとき、神は彼の石板に再び「十戒」を記録してくださったのです。

 🌻モーセがこの石板を持って、イスラエル民族の前に現われたとき、初めて彼らはモーセを信じ、彼に仕(つか)えるようになって、契約の箱をつくり、幕屋を建設したのです。

 

石板、幕屋、契約の箱の意義と目的

石板:モーセが「40日断食のサタン分立期間」をもって、み言(ことば)を記録した二つの石板を手にしたのは、サタン世界から失ったアダムとエバを象徴する、み言(ことば)の実体として、復帰したことを意味します。したがって、み言(ことば)の実体として、将来来られるイエス(独り子)と聖霊(独り娘)を象徴していたのです。

 

幕屋:イエスはエルサレムの神殿を、ご自身の体に例えられました。そしてまた、イエスを信じる信徒たちのことも、「神の宮」であると言われたのです。それ故に、神殿はイエスの形象的な表示体であるといえます。モーセを中心とするイスラエル民族の不信により、神殿を建設することができず、その代わりに幕屋を建てたのです。それゆえ、幕屋はイエスの象徴的な表示体なのです。

 🌻神がモーセに幕屋を建てるように命ずるとき、「彼らに、わたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らの内に住むためである」と言われたのです。

 

契約の箱:至聖所に安置する律法の柩(ひつぎ)であって、その中にはイエスと聖霊、すなわち天と地を象徴する二つの石板が入っています。大きくは天宙の、そして小さくは幕屋の縮小体であると見なされています。

 

 🌻石板と幕屋と契約の箱は、不信に陥ったイスラエル民族を救うための一つの方便として、神がくださったものです。幕屋はイエスと聖霊の象徴的な表示体であるから、神殿を建てるときまで必要でした。神殿はイエスと聖霊の形象的な表示体ですから、実体の神殿であられるメシヤが降臨されるときまで必要だったのです。

 

 

 

                ☆☆☆つづく☆☆☆

 

 

                 <m(__)m>

 

(仮)韓民族選民と日本民族選民の物語(15)

 🌻韓民族選民大叙事詩・補助教材の第二講(P53)に、「セム族の後裔(こうえい)から生まれた『ユダヤ民族』と『韓民族』」という項目があります。セム族の流れが西側ではユダヤ民族になり、選民として独り子イエス様と独り娘を送るための血統的基盤を探し求める役事(やくじ)されたのですが、イエス様を十字架にかけることによって、選民としての使命を果たせませんでした。一方、韓民族の起源を「東夷族(とういぞく)といい、真のお父様も「東夷族」が韓民族の起源であると語られています。古代韓民族の記録をひも解くと、彼らは天に祭祀を捧げ、平和を愛する民族であったというのです。「祭天儀式」の文化を通して、天と関係を結ぼうという民族性をもっているのです。

 

 🌻一つの家族に家系図があるように、一つの民族にもルーツを探る系図があります。『旧約聖書』は神の創造から、人間始祖の堕落によって失われた、神の創造目的を取り戻すための救援摂理史といえます。言い換えれば神の血統が連綿とつづられた系図の書物といってもいいでしょう。そうした歴史の流れの中で、中心的存在となる特出した才能の持ち主が現れることがあります。それは決して偶然ではありません。神様はセム族の後裔であるユダヤ民族が責任を果たせない場合に備え、同じセム族の中から東側に、一つの群れを送っています。つまり、それは神の救援摂理から生まれた復帰のプログラムなのです。その膨大な歴史的な系図の流れを、世界平和統一家庭連合の教義の一つである『原理講論』を参考にしながら何回かに分けて、大まかにまとめてみました。※詳しく知りたい方は『原理講論』を直接学んでください。

 

 🌻『原理講論』の教義では、人間始祖のアダム家庭における「姦淫と殺人」という罪悪から始まったのが人類の歴史だといいます。その人類を救援(これからは復帰と表現を変えます)するために立ててこられた神の摂理に、最初に選ばれたのが「ノア家庭」でした。

 🌻ノアは120年間、神に対する絶対信仰を貫き、方舟(はこぶね)を造りました。その後の洪水審判で、ノアの家族8人を除く人々は滅ぼされ、復帰摂理は新たに出発することになります。

 

 🌻ノアにはセム、ハム、ヤぺテという三人の息子がいました。現在の人類はみな彼らの子孫となります。ハムは黒人系、ヤぺテは白人、アーリア系(AIより:紀元前2000年~紀元前1000年頃にかけてインドからイラン方面へ移動した遊牧民族、またはインド・ヨーロッパ諸族の総称)、そしてセムはその他の有色人種です。大きくこの三系に分けると、ユダヤ人、韓国人、日本人などは同じセム族となります。

 

 🌻ハムの過ちにより、神様の復帰摂理はセムを中心として延長されました。このセム族の一つの系図から古代バビロニア王国の都市、カルデアの「ウル」からアブラム(後にアブラハムと称号が変わる、その変遷は・創世記32章12、14)が召命されます。アブラハムにはイシマエルとイサクという二人の息子がいました。イシマエルからはアラブが誕生し、神の預言者は息子のイサクから、イサクの息子ヤコブへと受け継がれていきます。ヤコブは御使いと夜明けまで格闘し(創世記第32章29節)、そこで勝利したヤコブを神は祝福し、これからはヤコブと呼ぶのではなく、イスラエル(神の勝利といった意味)と呼ばれるようになりました。これがイスラエル人の誕生です。

 

 🌻ここで神は、ノアに何を期待されていたのでしょうか? 真のお父様のみ言(ことば)訓教教・天の心情を誰が知っていたか。ノアを中心として摂理された神の心情・P204】より抜粋させていただきました。

 

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 洪水審判の後、堕落しない天の家族として、神様を父として侍(はべ)り、喜ぶことを期待されていましたが、ノア自身はそれをはっきりと知りませんでした。自分は本然のアダムの資格を復帰しなければならない立場であり、アダム家庭によって生じた恨(はん)を蕩減復帰(元に戻すこと)しなければならない立場として、ノアは選ばれた自分の家族であるということを知らなかったのです。

 🌻悔しくて悲しいことは何でしょうか? 他人が理解してくれないことは耐えられるのですが、死ぬときは共にしに、喜びも悲しみも、苦労も、共に共有できる家族が分かってくれなかったということです。摂理は世の中の人が分かってくれなくて延長したのではありません。理解すべき群れが、理解することができなかったために、天の歴史は悲しみが幾重にも加えられられ流れてきたのです。

 🌻ノアの前にハムがそうであり、モーセの前に民族がそうであり、イエスの前に使徒たちがそうだったのです。歴史はこのように流れてて来ました。分かってくれることを信じ、願いながら呼び集め、育て食べさせ守ってきたその群れが、分かってくれなかったので、天のみ旨は壊れ、身が裂けられる痛みを伴ないながら進んできたのです。

 

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            ☆☆☆つづく☆☆☆

 

                 <m(__)m>

(仮)韓民族選民と日本民族選民の物語(14)

 🌻イエス様の十字架の受難後、再臨を約束されたキリスト教徒たちの切実な祈りと、旧約聖書のユダヤ民族の解放者「モーセの出エジプト記」と、多くの謎を持ちながら流浪する氏族「秦氏」と重なり合う共通点は「待望思想とその信仰」です。秦氏には弥勒菩薩信仰に見られる東洋の陰陽思想がありますが、キリスト教とユダヤ教には「陰陽の思想」は存在しませんでした。

 

 🌻それでは、キリスト教の「待望思想」はどこへ進むべきだったのでしょうか? 【韓民族選民大叙事詩の補助教材、第五講(3)P112】に解説されていますので、それを紹介させていただきます。

 

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 🌻人類歴史は、真の父母を復帰する歴史であるということができます。真の父母を復帰しなければ……真の家庭と真の氏族と真の民族、国家、世界、天宙はありません。神様は、今までこの基準を立てるため、六千年という長い歳月、苦労してこられました。【天一国経典『天聖経』P152】

 

 🌻また、真のお父様は「救援摂理史原理観」のみ言(ことば)で、再臨のメシヤの使命は、‟真の父母の理想を完成すること”であり、イエス様が果たせなかった‟新婦を探し出して真の父母になることである”と語られました。

 🌻1971年のみ言(ことば)では「イエス・キリストは、『私は神様の独り子である。神様は私の父である』と言いました。……神様の独り子はいましたが、独り娘がいましたか? 独り娘に出会えなかったので、神様の初愛をすべて受けることができる独り娘に出会うために、イエス様は再臨するのです。再臨主は、来られて何をするのでしょうか? 『子羊の婚宴』、すなわち婚姻をしなければならないのです」【マルスム選集41‐310】と語っていらっしゃいます。

 

 🌻天が準備した再臨のメシヤと、独り娘誕生のための韓国キリスト教基盤において、聖霊運動が吉善宙(キルソンヂュ・1869~1935)のペンテコステ運動によって成され、平壌(ピョンヤン)は「東洋のエルサレム」と言われました。聖霊体験、悔い改めと救いが強調されたのです。それまで儒教文化の強かった朝鮮の霊性に対し、宣教師ハーディーは悔い改めについて教え、その悔い改めによって、‟聖霊運動の復興”が成される契機となったのです。

 

 🌻本来、キリスト教の「待望信仰」は復帰摂理から見るとき、「真の父母待望」でなければなりません。再臨のメシヤと共に初臨の独り娘を迎えるべきなのです。これが、新約時代の目的であるヨハネの黙示録第19章の「子羊の婚宴」となります。そうしてこそ、「真の父母」が顕現することができるのです。再臨のメシヤの待望は ‟初臨の独り娘待望”の思想と連結されるべきでした。韓国のキリスト教聖霊運動は、そのための準備だったのです。しかし、そのようにはなりませんでした。

 

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 いつ、どこで、書いたのか記憶にないのですが、偶然開いた資料用ノートに記されていた、真のお父様が語られたみ言(ことば)。それを紹介します。

 

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 🌻今日のキリスト教では、それらが分からないので、神を天の父とだけ呼んでいるのです。‟私を見た者は父を見た者である。……私は父の中にいて、私の中にいることを信じないと”イエス様は独り子としての天の父だけを紹介されました。そして二千年ぶりに再臨され、天の父を示す方がおられるなら、天の母を示す方が必要なのです。その方こそが「真のお母様」です。太平洋文明圏は摂理の最後の瞬間、人類の独り娘である真のお母様を中心に形成されました。特に歴史の中で隠されたきた神の女性格である、天の母の位相を取り戻さなければなりません。今や天の父だけなく、天の母を含む完全な「天の父母」として解釈されるべきです。宗教の完成も人間の完成も、一面だけでは足りません。宇宙のお母様、真のお母様、独り娘を迎えなければ、堕落した人類には救いがありません。このような神の本質を確実に知ってこそ、神と一つになれる道を歩むことができるのです。そうすれば、皆さんが持っている人種、宗教など、すべては問題になりません。

 🌻そして、神が二千年前にイエス様を私の息子だと言われたように、六千年ぶりに私の娘といえる独り娘が誕生しました。これがどれほど尊く、そして喜び感謝すべきことでしょうか。

 🌻今日、独り娘がこの地に来られたので、ついに、この地に真の父母様が顕現したということがまさに、完成された「福音」なのです。

 🌻祝福を受けて四十年、五十年経っても、未だ胸の中に、天の父の威厳は残っていても、天の母の位相を備えていない人々がいます。家庭の中でも男性中心にしか暮らさない家庭は、まだ天のお母様の位相を見つけられずにいます。それは摂理の完成圏に向かうことはできないということなのです。

 

 

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(仮)韓民族選民と日本民族選民の物語(13)

🌻「待望思想」ユダヤ教徒たちは何を待ち望んでいたのでしょうか。

 

 🌻これはイエス様ご生誕の時の感動的な聖句の一つです。

 イザヤ書九章六節以下に「ひとりのみどりごが、われわれのために生まれた。ひとりの男の子が、われわれに与えられた。まつりごとはその肩(かた)にあり、その名は『霊妙なる義士、大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえられる。そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後(のち)、とこしえに公平と正義とをもってこれを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである。」と記録されている。

 

 🌻これはイエスがダビデ王の位をもってきて、永遠に滅びない王国を建てることを預言したみ言(ことば)である。それゆえに、☆イエスが懐胎(かいたい)されるときも、天使がマリアに現れて「見よ、あなたはみごもって男の子を生むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」(ルカによる福音書一章31~33)というみ言(ことば)を伝えたのである。                 【統一原理講論P185】より

 

🌻次にイエス様のマリアの否定の聖句です。

【マタイ12:46ー50、マルコ3:31ー35】イエスが説教しているときに、母と兄弟が訪ねてきた際、イエス様は「わたしの母、兄弟とは、神の御心を行う人たちである」とあります。【ヨハネ2:4】にはカナの婚礼でマリアが「ワインがなくなったと伝えた際、イエス様は「婦人よ、わたしとなんの関係があるのですか」と、母、マリアに向かって「婦人よ」と呼びかけることに、使命ある者が、その責任を果たせない悲劇を知る、イエス様の苦悩がそこにあったのではないでしょうか。自身の時がまだ来ていないと距離を置きました。この自身の時とは、いくつかの説がありますが、イエス様ご自身の婚礼ことだというのが、韓民族選民大叙事詩の補助教材の中に記されていますので紹介させていただきます。

 

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🌻P112「キリスト教の『待望思想』は、どこへ進むべきだったのでしょうか? 次のみ言(ことば)を通して確認してみましょう。

「人類歴史は真の父母を復帰する目的であるということができます。真の父母を復帰しなければ……真の家庭と真の氏族と真の民族、国家、世界、天宙はありません。神様は今までこの基準を立てるため、六千年という長い歳月、苦労してこられました」(天一国経典『天聖経』P152)

 

 🌻また文鮮明師は「救援摂理史の原理観」のみ言(ことば)で、再臨のメシアの使命は“真の父母の理想を完成すること”であり、イエス様が果たせなかった“新婦を探し出して真の父母になることである”と語られました。

 🌻1971年のみ言(ことば)では「イエス・キリストは、『わたしは神の独り子である。神様は私の父である』と言いました。……神様の独り子はいましたが、独り娘はいましたか? 独り娘に出会えなかったので、神様の初愛をすべて受けることのできる独り娘に出会うため、イエス様は再臨するのです。再臨主は来て何をするのでしょうか? 『子羊の婚宴』すなわち婚姻をしなければならなかったのです。(マルスム選集41-310)より

 

 「受胎告知」における神の啓示から、マリアはイエス様の使命を悟れなかった? それとも世俗化して忘れていたのか? それとも……?

 

 🌻一人の若い青年、イエス様が十字架上で聖和されるまでの、30歳から33歳までの三年間、新約聖書に数多くの歩みと福音のみ言葉を残されて逝きました。いくつもの分派、宗派に分かれていったとしても、その「福音」は世界的に拡大し、あらゆる分野において影響し、歴史を牽引する役割を果たしていったといっても過言ではありません。

 

 🌻そのわずか三年、凝縮されたイエス様の公的生涯路程である、この三年という短い時間に、ユダヤ人たちは、これまで厳し戒律の律法のユダヤ教の中から、突如として現れたイエス様を半信半疑になりながらも、直接、イエス様の魂の「愛の福音」のみ言(ことば)を聞き、数々の奇跡を目で見て、聖霊体験を感性で受け止め、イエス様と共に行動したユダヤの信徒たちは、目の前で「福音」を語るこの人こそ、自分たちを解放してくれるメシヤであることを受け止めていったのでしょう。十字架の受難後、ユダヤ教徒だった彼らが、ローマ帝国の大迫害がありながらも、イエス様の「また来る」という再臨の約束の言葉を信じて、信仰を守り続けてきたキリスト教とは、ユダヤ教の奥義を明かされた宗教なのです。

 

 🌻旧約聖書の創世記第一章に、神は最後に男と女を創造されたとあります。天のみ旨は、アダムとエバが成長し、聖婚して真の父母になって、真の家庭を実現することです。二千年前の独り子イエス様の場合、中心人物の失敗で独り娘は誕生せず、イエス様は真の父母になれませんでした。今、二千年以上の時を超えて、再臨の時代に独り娘を送り「子羊の婚姻」を成就させる摂理をしてこられたのです。(P118より)

 

🌻現在、韓鶴子総裁を「真の母」として受け入れない人たちがいることは残念でなりません。文鮮明師の自叙伝「平和を愛する世界人として」の第五章・「結婚と愛」の冒頭に『私の妻、韓鶴子』に書かれている意味を、改めて考察するために抜粋します。

 

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 🌻私が妻に初めて会った時、妻は小学校を卒業したばかりの十三歳の少女でした。教会に来るときも帰るときも、いつも同じ道を通り。一度も大声を出したことがないおとなしい少女でした。ある日、信徒の洪順愛(ホンスネ)女史がその娘と一緒に挨拶に来ました。

🌻「何という名が?」と聞くと、「はい、韓鶴子(ハンハクチャ)といいます」とはきはきと答えました。ところがその瞬間、私は思わず「韓鶴子が大韓民国に生まれたのだなぁ!」三度も繰り返し、「神様! 韓鶴子という立派な女性を韓国に送ってくださったのですね。ありがとうございます」と祈りました。

 🌻彼女を見た瞬間、これらすべての言葉が自然と飛び出してきました。後日、洪順愛女史は、その日の私がなぜ自分の娘を見て三度も同じ言葉を繰り返したのか、本当に不思議に思ったといいます。妻は、その日の短い出会いをよく覚えていました。私が独りごとのように漏らした言葉も、すべて忘れられずに胸の中にしまっていました。自分の将来のことで大きな啓示を受けたような気がして、忘れられなかったそうです。

 

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 文鮮明師のこの時の祈りとは? 測り知れない神様との交わりがあったことと推察します。私の勝手な想像ですが、ここで韓鶴子という少女は、神様が送られた「独り娘」であると確信した瞬間だったということです。

 

 🌻「天一国」は空絵事ではありません。今、天の父母様と真の父母様が直接役事され「天一国」を、実体的に創建することができる歴史的黄金期を向かえているということです。

 🌻「独り娘」「真の母」の顕現がどれ程重要であり貴重であるのか。その位相と価値を、霊的感性を研ぎ澄ませ、神霊の扉を開いて悟らなければならないのです。

 

    

 

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