☆🦋☆🦋☆ 黒真珠の涙、神様の懐に抱かれる ☆🦋☆🦋☆
🌹アフリカに行ってみると、赤色や黄土色の土がたくさん目に映ります。♦土が露(あら)わになった地面が広がっており、一日中風が吹いて砂が積もることで、町は赤色や黄土色に覆われます。また♦「アフリカ」という言葉には「マザーランド」という意味がありますが、その言葉の持つイメージとは裏腹に、そこで暮らしている人々の日常は、常に困難にさらされています。
🌹ヨーロッパの人々は搾取(さくしゅ)するばかりで、アフリカにはほとんど何も与えませんでした。♦神様を信仰していながら、彼らを自分たちと同じ人間として扱わず、奴隷として売買することだけでした。アフリカの人々を慰めてくれる人はおらず、♦生きて行く上で必要な助けを施してくれた人は、ほんの一握りの人に過ぎませんでした。ましてや、神様の救いのみ言(ことば)を聞かせてくれる人など、皆無に等しかったのです。
🌹私が初めてアフリカの地を踏んだのは、1970年頃のことです。その時できた心のしこりが、長い間消えませんでした。♦宣教師たちを続けてアフリカに送りながら、教会を建てるのは後回しにして、小さいながらも学校を建て、診療所を造り、工場を建設したのも、アフリカの人々の暮らしをよりよくするためでした。ただし、♦それらは今の空腹を免れさせても、彼らの心の中にある疑問を解くことはできませんでした。
🌹アフリカの人々は、家庭連合の宣教師や牧会者をつかまえては、繰り返し尋ねました。
♦「なぜ私たちは、このように苦痛の中で、生きなければならないのですか?」
♦「真の父母様は、いつ私たちに会いに来られますか?」
♦「真の父母様は、本当に私たちを愛していらっしゃるのですか? アフリカに対する真の父母様のお考えは、どのようなものですか?」
🌹彼らの切実な哀願は海を越え私の耳にも届きました。そのたびにアフリカに行きましたが、♦私を待つ人はあまりにも多く、国ごと部族ごとに置かれた状況が違うため、同じ話をするわけにもいきませんでした。♦ある国では英語を使い、ある国ではフランス語を使います。またある国にはカトリックの信者が多く、ある国にはムスリムが多いため、顔の色は同じでも、お互いによそよそしくしているのです。♦部族間の紛争で十数年間、血を流す争いを繰り広げている国もありました。
🌹私はどうすれば彼らの傷を癒し、心を一つに束ねられるか祈り求めました。そうする中で、♦アフリカのすべての政治指導者や部族長が、一堂に会するようにしなければならないと思ったのです。
🌹2018年1月18日のことを、私は忘れることはできません。セネガルのダカールにあるアブドゥ・ディウフ国際会議場において♦「神(しん)アフリカ―共生、共栄、共義と普遍的価値」というテーマで♦「アフリカサミット2018」を開催したのです。♦セネガルのマッキー・サル大統領はじめ、アフリカ中から元大統領や首相、現職の大臣や国会議員が私からの招請に応じ一堂に会しました。♦アフリカ大陸の最北端から最南端に至るまで、アフリカ諸国を中心に、六十カ国以上から約千二百人が参加したのです。アフリカでこれほど多くの人々が集まったのは、大陸史上初めてことでした。
🌹韓国では真冬の寒さが猛威を振るい、国中の人々が凍える季節でしたが、アフリカは熱い日差しのもと、一日中蒸し暑い風が吹いていました。♦人々は熱望していた真の母の来訪を喜び、私の手を握って涙を流しました。♦私の講演に続いて、アフリカで活躍しているセマウル運動と国際ハイウェイ、そして鮮鶴(ソナク)平和賞の紹介がありました。また♦私の後援により「世界平和国会議員連合(IAPP)」♦「世界平和宗教人連合(IAPD)」♦「世界平和族長連合(IATP)」も結成しました。
🌹その日の晩、韓国の誇りである、リトルエンジェルスによる祝賀会公演が開かれました。♦長鼓(チャンゴ)の踊りや太鼓の舞、扇の舞「お嫁に行く日」「アリラン」など、韓国の伝統舞踊や歌を披露するたびに、聴衆からは感嘆の声が漏れました。♦セネガルの国歌に続き、同国の国民的アーティストである♦イスマエル・ローの名曲「ディビ・ディビ・レック」を清らかな歌声で歌う時には、会場を埋める聴衆は涙を流していました。声を上げて泣く人も少なくありませんでした。♦歌一つで、人々の心が一つになった瞬間でした。それらは、アフリカに新しい希望と喜びがもたらされたことに対する、深い感謝の意の表れだったのです。
🌹翌日、ゴレ島に発つ船に乗り込みました。悲しみと苦しみの大地だったアフリカを解放、解怨するためでした。ゴレ島の奴隷収容所は二階建てになっており、主人である白人は二階に住んでいました。♦一方、一階にはアフリカの至る所から捕らえられてきた黒人奴隷たちが、船で運ばれるまでの間収容させられていました。そこは♦現在、観光客のために補修がされていますが、腰を曲げなければ入ることができず、ほとんど光りも入ってこないため、洞窟のように陰湿で不気味な空間です。
🌹ゴレ島を訪れる各国首脳や指導者のほとんどは、主に二階を見学して帰るのが慣例になっています。しかし私は、♦一階の「帰らざる扉」に手を当て、奴隷となった人たちの解怨のために切実な祈りを捧げました。♦共に参加していたゴレ島の区長をはじめ、多くの人々が共に痛哭(つうこく)しました。
🌹既にこの世を去った霊魂を解怨するのは、生きている人の心情を慰めることより遥かに困難です。それは♦人類を救う使命を持った、独り娘の切実な求めがあってこそ、できることなのです。♦沈黙する収容所の石壁と向かい合い、これまで誰も断ち切ることのできなかったアフリカの悲惨な抑圧の鎖を、永遠に断ち切りました。
🌹収容所の向かい側にある小さな広場には、聖母マリアの像があります。その傍の黄色い壁に、手のひらほどのネームプレートがいくつか掛かっていました。♦島を訪れた世界の有名人たちの訪問を記念したプレートでした。♦セネガル大統領と国民の申し出によって、私の名前が刻まれたプレートモ付けられることになったのですが、その近くには、♦2013年にここを訪れた、アメリカのオバマ元大統領のプレートもありました。
🌹セネガルの人々は声を揃えて私に言いました。
♦「悲しみ大地、アフリカに温かな恵みを下さり、五百年間、背負ってきた苦痛を解怨してくださったことに深く感謝申し上げます」
♦「この小さなネームプレート一つで、恩恵のすべてに報いることはできませんが、私たちのための貴い足跡を永遠に記憶させてください」
🌹本土に戻る船を待ちながら、ふと気になって島の住民に尋ねました。
♦「船は一日に何回来ますか?」
「朝に一度、午後に一度来ます」
♦「夜に体調を崩す人がいたら、どうするのですか?」
「夜通し我慢して、朝になってから本土に向かいます」
♦「病状が急変して、命が危ない状況になったら……?」
「それが大きな心配事です。ここには病院もなく、医者もいませんから……」
🌹私は船を買ってあげることを約束し、救急用の船舶をゴレ島に寄付しました。♦過去、数百年にわたって、数えきれないほど多くの命が犠牲になったのに、ただ船がないという理由だけで、再び不幸な目に遭わせることはできませんでした。
🌹アフリカはまだ暗闇に沈んでいます。自然は美しく豊かですが、人々は不毛な土地に住んでいます。それでも、そこで暮らす人々は優しく穏やかで真面目な人々です。♦アフリカの人の瞳を見るたびに、♦美しい黒真珠を思い浮かべます。太陽の光を浴びてキラキラと輝く丸くて小さな黒真珠。♦アフリカの人々は貧しい生活をしていますが、その瞳は黒真珠のように輝いているのです。彼らを見ながら創造主、天の父母様の摂理を実感するのです。
Holy Mother Han 【世界平和統一家庭連合 韓鶴子総裁自叙伝より】
🌺My favorite the word of God. 私の好きなみ言(ことば)
既にこの世を去った霊魂を解怨するのは、生きている人の心情を慰めることより遥かに困難です。それは人類を救う使命を持った、独り娘の切実な求めがあってこそ、できることなのです。沈黙する収容所の石壁と向かい合い、これまで誰も断ち切ることのできなかったアフリカの悲惨な抑圧の鎖を、永遠に断ち切りました。
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