🌻世界中で知らない人はほとんどいないと思います。♦1495年から1498年にかけて制作された世界的な傑作壁画、♦レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」は、新約聖書の中にイエス様が拘束される前に、エルサレムで12人の弟子たちと共にした最後の食事です。
🌻イエス様は弟子の中の一人が自分を裏切ることを予告して、「あなた方のうちの一人が、わたしを裏切ろうとしている」と言った、その直後の様子を描いています。「裏切ろうとしている」というイエス様の言葉は、普段の食事会と思っていた彼らにとって、余りにも唐突で驚いたことでしょう。その騒めく一人一人の仕草や表情の違いから、弟子たちの感情を捉えています。
🌻死を意識するようになった「最後の晩餐」で、イエス様はいったい何をしたかったのでしょうか? 何を残したかったのでしょうか? テーブルに乗せられた「パンと葡萄酒」をもって、「これはわたしの肉であり血である」といって弟子たちに与え、ご自身の肉身ががこの地上からいなくなったとしても、これを飲むことで、♦神様と親子の関係を永遠に結ぶことが目的でした。裏切っていくことが分かっていても、イエス様は愛を与え続けたのです。
🌻イエス様は十字架に登る前に「わたしは死して、三日後に復活する」と言いました。死んだ人間がどうして生き返るのか? 誰もが半信半疑でした。しかし、死の三日後、イエス様のお墓が空になっていることを発見。その後、マグダラのマリアは復活したイエス様に出会い、そして多くの弟子たちの前にも現れ、自ら復活したことを告げるのです。
🌻イエス様が亡くなり、三日後に復活されたことによって、ここから人類の新しい救いの摂理が始まりました。イエス様と共に行動していた弟子たちは、メシヤを迎えるために準備された「ユダヤ教徒」ではありません。イエス様のためとか、特別な実力、社会的地位があったとか、熱い信仰をもっていたわけでもありません。むしろ漁師、取税人など社会の底辺といえる所に住む善良な人たちでした。その使徒たちがイエス様から教えてもらったこと、その行動の真実な姿を目の当たりにしたことによって、霊的に目覚めに至っていったのです。
🌻そして、十字架の苦難の後、12使徒に向かい自分が生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた父の約束されたものを待ちなさい」[新約聖書の使徒行伝第一章三節]この言葉を守り、弟子たちは毎日祈りを捧げていきました。
🌻古代ローマ帝国に厳しい迫害の中にあっても、信仰を守り続けた「マルコの屋根裏部屋」の話は有名です。イエス様の復活後、弟子たち120人が集まって祈りを捧げた場所です。ここに集まった人々に激しくペンテコステ(聖霊降臨)が下り、キリスト教会が誕生する大きな契機となった聖地です。
🌻後に弟子になった律法学者であり、熱心なユダヤ教徒であったパウロは、キリスト教を徹底的に迫害していました。パウロの回心はダマスコへ向かう道で、復活したイエス様に出会い、♦「なぜ、わたしを迫害するのか」という呼びかけと、天からのまばゆい光りを直接体験したことです。♦人間の思想や理屈ではなくこの圧倒的な神の介入と、復活したイエス様との出会いが、パウロのそれまでの人生観や立場を180度変える決定的な理由となりました。
♦宗教とは? 信仰とは? 人間とは? 真のお父様が「世界宗教者会議・対話と同盟」(1985年アメリカ)でのメッセージの一部を紹介させていただきます。
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🌻私たち人間は自らが有限なる存在であるということを知っております。私たちは自分の運命を決定することはできないのですから、最高の力の拠り所としている絶対者に、必ず頼るようになっているのです。(略)
🌻私は、自分自身の霊的体験と絶対者との深い交わりを通して、霊界に精通し、神の意志と愛と心情を知りました。♦宗教は単に真理や理論的教えであるだけでなく、人々が絶対的に信頼し、関係を持つことのできるものを見つけようとする本心の衝動に中心を置くものです。♦真の宗教的直観は、絶対者、無限なる者に出会います。この直観によって、私たち一人一人を呼んでおられる神の召命を聞くことができるのです。そのような絶対者との本然的な交わりの状態は、どんな個々の宗教組織や形式さえも超越します。そのような状態でおいてのみ、人間は完成と幸福に到達するのです。(略)
🌻愛と幸福と平和の理想を成すことは、孤立した個人においては不可能です。それは他者との関係においてのみ得られるものです。絶対者でさえも、他との関係を持たずに理想を達成することは不可能です。神がお一人であれば、神は誰を愛されるのでしょう。神ご自身の理想をどこに見い出すことができるでしょうか。こう考えてみると、私たちは神の創造の動機を理解することができます。♦神はご自身の理想を実現し、神の愛を完成するために人間を創造されたのです。神は愛と幸福と平和の理想を、地上の人間生活においてのみ実現することができるのです。
🌻この意味において、本然の人間はどれほど貴重でしょうか。人間が神と同じレベルに立つものではありません。しかしながら、神と人間は関係を持つようになっており、究極的には一つになるようになっているのです。すなわち♦神と人間の関係は、親子関係なのです。♦ちょうど神が永遠で絶対であられるように、人間もまた神の子女として、絶対的かつ永遠なる価値を持つ存在となるのです。(略)
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☆☆☆つづく☆☆☆
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