【平和を愛する世界人として】文鮮明師・自叙伝☆☆序文☆☆

                                                 

                                    

     

 🍀序文            

 乾いた冬の終わりに、夜通し春雨が降りました。どれほどうれしいことでしょうか。朝の間中、庭をあちらこちらと歩き回りました。湿りを得た地から、冬の間ずっと嗅ぐことのできなかった土の香りが芳(かぐわ)しく匂いた立ち、枝垂(しだ)れ柳や桜の木には小さな芽が萌え始めました。至る所から、ぽんぽんと新しい生命の芽吹きの音が聞こえてくるようです。

 追いかけるように庭に出てきた妻は、いつの間にか乾いた芝の上にひょいと突き出したヨモギの新芽を摘み取ります。一晩降った雨で、すべてのものが香りを放つ春の庭園になりました。

 🌺世の中が騒がしかろうと、どうであろうと、三月になれば必ず春は訪れてきます。このように冬が去って春になり、春になれば花が満開になる自然は、年を取るほどに、より貴重なものとなってきます。私が何者だからといって、神様は季節ごとに花を咲かせ、雪を降らせ、生の喜びを与えてくださるのか。胸の内、その奥深い所から愛があふれ、それが喉元まで込み上げてきて、息が詰まるようです。

 

 生涯、平和な世界を成すために東奔西走(とうほんせいそう)し、地球を何周も回りましたが、私は今、この春を迎える庭において真正なる平和を味わっています。平和もまた、神様が何の見返りも求めず、ただで下さったものです。私たちは、それをどこかでなくしてしまったのでしょうか。全く見当違いの場所で捜し出そうと努力しているのかもしれません。

 

 平和な世界をつくるために、私は生涯、この世の底辺や辺境の地を訪ね回りました。飢えている息子を前に、なすすべもなく見守るしかないアフリカの母親たちにも、川に魚がいるにもかかわらず、🎣釣り方が分からなくて家族を食べさせられない南米の父親たちにも会いました。

 🍎私は彼らに食べ物を少し分けてあげただけですが、彼らは私に愛を施してくれました。私は愛の力に酔って、原生林を伐り拓き、種を蒔き、木を伐って学校を建て、魚を釣って、お腹を空かせた子供たちに食べさせました。体中を蚊に刺されながら夜を徹して釣りをしても幸福であり、泥土の中に太ももまですっぽりと埋まってしまっても、寂しい隣人たちの顔から陰が消えるのを見るのが喜びでした。

 

 💛平和な世界に向かう近道を探して、政治に変化をもたらし、世の中を変えることにも熱中しました。ソ連ゴルバチョフ大統領に会い、共産主義と民主主義の和解を試み、北朝鮮金日成主席と会い、朝鮮半島の平和について話し合いました。さらに、道徳面において崩れゆくアメリカに行き、清教徒ピューリタン)の精神を目覚めさせるという医者や消防士のよな役割も果たし、世界の紛争を防ぐことに没頭したのです。

 私たちの運動は、イスラーム教徒とユダヤ教徒の融和のために、テロが頻発するパレスチナに入ることを恐れず、ユダヤ教徒イスラーム教徒、キリスト教徒たち数千人を一堂に集め、和解の場を準備し、平和行進を行いました。それでも、葛藤は今も続いています。

 

 しかし今、私はわが祖国韓国で平和の世界が大きく開いていく希望を見いだします。多くの苦難と分断の悲しみで鍛えられた朝鮮半島で、世界の文化と経済を導く強い機運が、龍が舞い上がるように巻き起こっているのを全身で感じています。新しい春が訪れるのを誰も抑えることができないように、朝鮮半島に天運が訪ねてくるのを、私たち人間の力ではどうすることもできません。押し寄せる天運に従って、私たち民族が共に飛躍するために、しっかりと心と体の準備をしなければならない時です。

 

 私は、たった三文字にすぎないこの名前を言うだけでも、世の中がざわざわと騒ぎ出す、問題の人物です。お金も、名誉も貪ることなく、ただ平和のみを語って生きてきただけなのですが、世の中は、私の名前の前に数多くの異名を付け、拒否し、石を投げつけました。私が何を語るのか、何をする人間なのかを調べようともせずに、ただ反対することから始めたのです。

 💛日本の植民統治時代と北朝鮮共産党政権、大韓民国の李承晩(イスンマン)政権、そしてアメリカで、生涯に六回も主権と国境を超えて、無実の罪で牢屋暮らしの苦しみを経て、肉が削られ血が流れる痛みを味わいました。しかし今、私の心の中には小さな傷一つ残っていません。(まこと)の愛の前にあっては、傷など何でもないのです。真の愛の前にあっては、恩讐(深い怨みのある敵)さえも跡形もなく溶けてなくなるのです。

 

 🍀真なる愛は、与え、また与えても、なお与えたい心です。真なる愛は、愛を与えたということさえも忘れ、さらにまた与える愛です。私は生涯、そのような愛に酔って生きてきました。愛以外には、他のどのようなことも望んだことはなく、貧しい隣人たちと愛を分かち合うことにすべてを捧げてきました。愛の道が難しくて涙があふれ、膝をへし折られても、人類に向かう愛に捧げたその心は幸福でした。

 

 🌻今も私の中には、いまだすべて与えきれない愛だけが満ちています。その愛が、干からびた地を潤す平和の川となって、世界の果てまで流れることを祈りながら、この本を発表します。最近になって、私が何者かと尋ねる人がぐっと増えました。その方々の少しでも助けとなるように、これまでの生涯を振り返り、この本に率直な話を詰め込みました。ページ数に限りがあるので、語りきれない内容は次の機会にお伝えできればと思います。

 

 🌹これまで私を信じ、私の傍らを守り、生涯を共にしてきたすべての人に、そして、すべての難しい峠を共に克服してきた妻である韓鶴子(ハンハクチャ)に、無限の愛を送ります。最後に、この本を上梓(じょうし)するまでに多くの誠を尽くしてくださった金寧社(キムヨンサ)の朴恩珠(パクウンジュ)社長と、私が思いつくままに語った煩雑な内容を読者の皆様に分かりやすくお伝えするために、苦労を厭わず尽力してくださった出版社の関係者の皆様全員に、心からあふれる感謝の意を表したく思います。

 

                     2009年3月1日

                 京畿道加平キョンキドカピン)にて

                    ☆☆☆ 文鮮明 ☆☆☆

 


                

アメリカ再興のためのメッセージ・そして日本と……。

 

      🍀【平和を愛する世界人として・文鮮明師自叙伝】🍀

 

 1958年、日本の外的な経済の急成長と共に内生的(霊性)の成長を必要として、圧政政治の記憶から誰もが反対する中、まだ国交のない日本に崔奉春(チェポンチュン・西川勝)宣教師を送りました。そして翌年、1959年にはアメリカに金永雲(キムヨンウン)宣教師、その翌年には金相哲(キムサンチョル)宣教師を送り、全世界に向けた宣教史の第一歩を踏み出しました。

 

 🍎当時のアメリカは、1961年~73年にわたるベトナム戦争に参戦し、撤退するまでの8年間約46000人の死者、30万を超える重軽傷者を出すという、アメリカ全土に厭世的な雰囲気が蔓延し始めているときでもありました。

 

 後にアメリカに渡った、文鮮明師がアメリカのために語られたメッセージが自叙伝に書かれています。今の日本に置き換えてもおかしくない、共通したものが多くありますので、本著からそのまま引用させていただきます。

 

 この当時のアメリカは、1961年~73年にわたるベトナム戦争に参戦し、撤退するまでの8年間約46000人の死者、30万を超える重軽傷者を出すという、アメリカ全土に厭世的な雰囲気が蔓延し始めているときでもあります。

 

💛181ページ、《1970年代初頭のアメリカといえばベトナム戦争をめぐる葛藤と物質文明に対する懐疑で社会が激しく分裂していたころです。人生に意味を見い出すことができない若者たちは道端をほっつき歩いて酒と麻薬、フリーセックスに人生を費やし、霊魂を堕落するに任せてきました。彼らが彷徨するのを止め、正しい人生に導いてやるべき宗教はもはやその役割を失ってしまいました。そのために低俗で猥褻な雑誌類が道端で売られ、麻薬を吸って厳格を見ながらふらふら歩く若者たちがあふれ、離婚した家族の子どもたちは心の拠り所を失って街をさまよいました。あらゆる犯罪が幅を利かせるアメリカ社会に警鐘を鳴らそうとして、神は私をその地に送られました。

 アメリカは本来ピューリタン精神によって建てられた国です。わずか200年の間に世界最大の大国になるほどの目覚ましい発展を遂げたのは、神から無限の愛の祝福を受けたからです。アメリカの自由は神から来たものです。ところが、今のアメリカは神を捨てました。今のアメリカの人たちは神から受けた愛をすべて失ってしまいました。何が何でも霊性を回復しなければアメリカのに未来はありません。私は皆さんの霊性を目覚めさせ、滅びつつあるアメリカを救うためにここにやって来ました。悔い改めてください。!悔い改めて神に還らなければなりません!》

 

 🌻アメリカ再興のために起ち上がった文鮮明師の中には、この時すでに韓国、日本、アメリカの三国が「神主義」の理念のもとに推し進める平和世界の構想が出来上がっていたのです。

 

 

   ☆☆☆ 本然の世界を復帰するための摂理 ☆☆☆

 神様が今まで苦労して摂理してこられたのは、ただみ旨を成就するためでした。そのみ旨の帰一点をどこに置いたかというと、人間と神様が苦楽を共にできるところにおいたのです。人間が、神様の希望されるみ旨を成就して、神様と永遠に苦楽を共にできる関係を結ぶようになれば、神様は人間の真の父であり、人間は神様の真の子女になるのです。このようになれば、神様の意志がすなわち人間の意志になり、人間は全被造万物とも和動して、神様に栄光を返しながら、神様の知恵深さと、慈しみ深さと、恵み深さを、永遠に賞賛するようになるでしょう。そのような日が来ることを、神様と人間と万物は願っているのです。み旨が成し遂げられれば神様と人間が一体となり、神様が楽しければ人間も楽しく、人間が楽しければ神様も楽しくなります。すなわち神様の意志が人間の意志になって、二人ではない一人として和動できるようになることによって、人間は神様に永遠の理想の喜びをお返ししてさしあげ、また自らもそれによって永遠の喜びを感じるようになります。

            【天聖経・第四章 本然の世界を復帰するための摂理】より

 

天一国時代の祈祷・人は何のために祈るのか

   【天一国時代の祈祷・文鮮明師のみ言選集より】 

 🌺プロローグ

  去る二十世紀は目覚ましい科学の発達によって、人間の生活条件が大きく向上した世紀でした。しかし、その一方では、世界的紛争と道徳的退廃の世紀でもありました。科学と文明の発達は人々に豊かな暮らしを提供した反面、自然環境の破壊、地球温暖化、大気中のオゾン層の破壊など、地球レベルの問題を引き起こしました。一方で、産業化と現代化が進む中で家庭の秩序が崩壊し、麻薬中毒、性道徳の紊乱(びんらん)、暴力や犯罪といった深刻な問題が人類の未来を脅かしています。

 

 人間がさまざまな面で平和と真の幸福を追及してきましたが、満足できる成果を挙げることが出来ませんでした。悲惨な第二次世界大戦を経験する中で、深い反省のもとに創設された国際連合が展開してきた世界的な活動も、人類を平和な世界に導くことはできずにいます。宗教団体の努力によっても、真の幸福の世界は実現されていません。また国際共産主義全体主義ファシズムによっても、理想世界は実現できませんでした。高度に発達した科学技術によっても、政治的・経済的な努力によっても、人類に平和と真の幸福をもたらすことはできませんでした。

 

 人間の真の幸福と平和世界の実現は、個々人の道徳性と霊性の回復を通して得られるものです。世界の平和も、国の平和も、結局はその構成員である個人と家庭によって成されるからです。科学や技術も善なる人々によってこそ、人類全体の幸福を目的とした「義」なるものとして用いられるのです。

 

 現代社会を生きる私たちは、明らかに物質的な豊かさの中にいます。肉身は満ち足り、環境は華やかです。しかし、私たちの心霊は渇きつつあります。生命の価値を凌駕(りょうが)する愛の貴さは色あせてきています。人々の情は薄れ、その関係は断絶しています。今こそ、食べる物でお腹を満たすことに満足せず、愛とみ言(ことば)で心霊を肥やさなければならないはないでしょうか。

 

 祈祷は信仰生活の命とい言えるものですが、決して宗教的なものだけに留まるものではありません。神様についてよくご存知である文鮮明師が、心の奥深くに潜む神様と、私たちをつなぐ祈祷と精誠について提示なさった指針は、日常生活にも何かヒントを与えてくれることと思います。

 

 

   ☆☆☆《心を開発する》☆☆☆

 人間は制限された存在です。皆さんの人格は制限されているのです。ですから、無限なる作用の領域にどのように入って接触するかという問題について考えると、固着した意識観念をもっていては自己主管は不可能なのです。それゆえ、仏教を信じる人々は座禅を通して無の境地に入ろうとするのです。

 ですから、人間は何かということを考える前に、まず人間の「心」がなんであるかということを自覚しなければなりません。自分が何かということよりも、「心」は何かということの方が大きな問題なのです。「私」は、心と体でできています。では、そのような「私」から体を取ってしまった「心」とはどのようなものでしょうか。しかし、それがどのようなものであるという認識が、自分によって意識されたものであるならば、それは完全なものではありません。無我の境地の純粋な立場で、「私はこうだ」と意識されたものであってこそ完全なのです。そのような超自我的な境地に入らなければなりません。

 

 そのような境地に入っていくことができる人は、預言をすることができるのであり、未来を透視することができます。そのような人は堕落した環境に置かれても、自ら飛び出して生命を主管し、喜びの立場で生命をつなぎ得るのです。そのような無限に前進し得る人格観があることを皆さんは知らなければなりません。

 

 そのような土台は純粋なものです。皆さんがそこに到達するためには熱意がなければなりません。その熱意は今までの熱意ではなく新しい熱意の内容でなければなりません。ですから、みなさんはそのような熱意を育(はぐく)まなければなりません。それは何によって育まれるのでしょうか。🍀祈祷によって育まれるのです。 

(36-114 1970,11,22)

☆☆☆文鮮明師のみ言選集より☆☆☆「鮮鶴歴史編纂苑編集・成和出版社発行」

 

 

 「祈り」について、さらに分かりやすく書かれている ♦♦♦お勧めする名著♦♦♦

🌻【人は何のために「祈る」のか・生命の遺伝子はその声を聴いている】(祥伝社黄金文庫

💛バイオテクノロジーの世界的権威者・筑波大学の名誉教授・村上和雄の、遺伝子の研究を通じて、心のあり方が遺伝子の働きに影響を及ぼしていると確信するようになりました。「祈りと遺伝子」の研究は大テーマであり、そのための第一歩が本書です。

🍀代表的著書「愛が遺伝子スイッチON」(海竜社)、「人生の暗号ーあなたを変えるシグナルがある」(サンマーク社)他多数

💛宗教学者・棚次正和氏は「祈り」の共通理解を深めるための材料を提供するとともに、祈りについての誤解や無用の混乱を避けたいという私たちの願いから誕生した書物です。🍀代表的著書には『宗教の根源ー祈りの人間論序説』(世界思想社)、『岩波講座宗教2 宗教への視座』(共著・岩波書店)他多数

 お二人の共同著書となっています。

 

💛内容を一部紹介させて頂きます。

 祈るとき「祈りの主体」に関する問題です。

 あなたが祈っているとき、「誰が祈っているのですか」と、質問することは愚問中の愚問でしょう。「自分に決まっているじゃないか」、みんなそう答えるのに違いありません。

 実は、この問いへの答えはそう簡単ではないのです。「自分に決まっているじゃないか」というときの自分とは「自我」のことです。自分で意識できる自分が自我ですが、祈りは自分の自我が祈っているとふつう考えます。

 しかし、祈りの実態を見てみると、意識できる自我よりも奥にあるもの(本当の自分・真我(しんが))が祈っていると考えられるのです。分かりやすく言えば自我とは顕在意識の自分であり、その奥に潜在意識が広がっていますが、真我とは顕在意識と潜在意識のさらに奥にあるもの、いわば超意識・超無意識の自分と言っていいでしょう。

 誰が祈っているかと考えるとき、ふつうは「顕在意識の自分」が祈っていると考えます。しかし、祈りの経験に即して表現すれば「祈っているのは自我ではない」と言えるのです。

 実際、深い祈りの状態では、祈っている人が「我を忘れたような状態」、つまり無我、無心の状態になるのがほとんどです。そこに達していない祈りには自我の欲望や願望が絡みついていると考えてまず間違いありません。だから「自我は祈れない」と推測できるわけです。

 「祈っているのに少しも実現したためしがない」と嘆く人は、自我レベルの祈りだからかもしれません。それは祈りというよりも願望にすぎず、瞬間に消え去り、祈りにまで持続していないのかもしれません。ЖЖЖЖЖЖ

 

💕村上和雄氏は、人の幸福を願う善なる「祈り」「愛」「感謝」「感動「喜び」「笑い」こそ、遺伝子が目覚めるキーワードだということを述べております。最後に付け加えさせていただきました。

 

  ☘ ありがとうございました。

 

 

 

 

 

神の言葉なき言葉を


   🌻ある日、表紙はボロボロ、中の用紙も薄茶に焼けて、時間の流れを感じる小冊子が、私の仕事机の上に置かれていました。誰が置いたのか不明ですが、中を開いて見ると、そこには、推定ですが1970年~80年代と思われる、旧統一教会の若い青年信徒たちが、深い祈りの中で心に語りかける、絶叫にも似た神の声を、そのままに記したものであると、書かれていました。当時、彼らが生きていた純粋な「魂」の言葉の一部を抜粋して載せました。

 

   ☘どんな小さな ひとりをも 神はみすてることはしない……

 

💛そんなに遠くに 私を追いやらないでおくれ 

 ちゃんと おまえの胸の中にいるのだよ

 他なんかにいやしない おまえの胸の部屋が 

 窮屈であっても 散らかっていても 

 そこが 私の住まいなのだ 

 きんきらきんの御殿なんて 空っぽだ 私は住みたくない

 おまえの部屋にいると 不思議に安らいでくる さあ開けておくれ

 私にとって そこが王宮なんだよ

 

💛捨てられ 踏みにじられ ばかにされた者にしか 私の姿はわからない

 神なる私が そうなのだから 切ない心をぬう者はいない

 やぶれた心から どくどく 血は流れてゆく そのしたたりを受けとめたのが

 小さな ゼラニュムの花びらだけだ 

 黄金のしずくより もっと尊く思えるよ 

 私のために流してくれた おまえの涙の 一滴は……

 

💛"生きていよ” "生きていよ” 星にたくした おまえへのメッセージ 

 小さな星ひとつにも おまえへの 熱き想いをこめて 創ったのだ

 苦境にあって 死んだとき 下を見ないで 空をあおいでごらん

 "生きていよ”という星のまたたきを 目にするだろう

 生きてゆけば それでいいのだよ 他に何も 望みはしない

 

💛私には 救うことしかできない あああ それしかできない

 おまえが どんなに悪くなっても 罪を犯しても

 ただ この熱い胸に抱きたい一念だ おまえのことを 想い想って

 気がおかしくなりそうだよ

 私の方に近い 傷ついた者の方が 傷つけた者より ずっと……

 私は 弱り果てた者 傷ついた者の味方だよ 

 強い人間は 独りでも生きていける でも 弱い人間は面倒みなければ

 こじき みなしごは みんな私の子だ さびしい 孤独な魂は 私の一部なんだよ

 

💛嘆くおまえを見るのが 辛くてならないよ 罪あるままに 

 私のもとに帰って泣くが  いい 決して 罰しない

 嘆くおまえが すでに罰したのだもの

 それ以上 私が何しよう 罪ある身で生まれなければならなかった 

 おまえに すまないのだ 咎を犯す おまえを見て 

 ただ 私が悪い と責めるばかりだ

 

💛責めたりできるものか おまえを責めたら 私は私でなくなってしまう

 それよりも わが身を責めるのだよ おまえを守り切れない

 おまえの魂を満たし切れない この私が 悪いのだ

 どんな罪も 許されるのだ

 悔恨にくれる おまえの涙は 今 救いの岸辺にたどりつく

 

💛おまえを肩車して 宇宙をかけめぐりたい 

 「いい子だ いい子だ なんていい子だ」と言って みんなに自慢するのだ

 ミカエルよ ガブリエルよ 星よ 鳥よ 見ておくれ 

 この子は すばらしいだろう 親孝行者だろう そして なんて眩しいのだろう

 

💛おまえが話し 私が語りかける 至福の時よ

 いつまでも こうしていよう 私は れいれいしい祈りはいらない

 お金も 欲しくない ただ おまえのそばにいて 

 しみじみと過ごしていたいよ なぜ この私を 高い所に 殿堂に

 一人ぽっちに追いやるのか おまえが好きなのだ

 

💛私は おまえに 基準高く あらねばならないと いったことがあるか

 私がいったことは ひとつ 私の前に変わらぬ者でありなさい

 私は おまえが 私の胸に飛び込んできた あの日のことを覚えている

 おまえの目は輝いていた 嬉しかった あの日の目をおまえが見せるとき

 私の胸が震えるのを おまえは知っているだろうか

 

 

  🌹 ♦♦♦ [悩める魂に寄せて] ♦♦♦ 後半一部抜粋

  生きるというこの限りない苦痛を

 自分の意志でもないのに 私に強制したものはだれか

 何の必要があって 自分は生まれなければならなかったのか

 

  このことを聞き出したいためにだけ 私は神を求めた

 それはあまりにも不当であり あまりにも無慈悲な刑罰のように

 私は思われたからであある

 

  生きるというこの最大の呪いと苦痛を 私に贈ったものは誰なのか

 もしそのような者がいるなら

 その者の胸ぐらをつかまえて、その不条理を詰問し

 面罵してから 私は死にたかった

 

  私は知らなかった この世に愛の喜びがあることを

 まして その喜びのために 私が創造されたということを

 どうして想像することができたろう

 

  私は自分に まことの命の親があることを知らなかった

 私は詰問するために 面罵するために 呪うために 

 神と出会ったのだが

 出会った神は 私よりも もっと悲惨であっ

 

  神は私を見て ただ泣くだけであった

 その涙のうちに 私は 告げることのできない

 神の苦しみと 神の愛とを知った

 声を限りに悶え泣いた時 神はただひとこと

 「ごめんよ」と言われた ひとことも私を責めはしなかった

 一瞬にして 私はすべてを理解した

 

  神は苦しめんがために 私を生んだのではないことを

 与えたくても 与えることのできない 貧しい神を

 慰めたくても 慰めることができず ただ歯をくいしばって

 それでもひとこと

 「私はおまえの親なのだ そのことだけは分かっておくれ」

 絶え入りそうな かすかな声でそういわれた

 

 💛人間には それを体験しない限り 絶対に分かりえない苦痛がある

 語り得ない心の秘密がある

 もし語ったら さらに収取のつかない混乱と 破壊がおこるだろうから

 神としても同じである 神にはなおさら 語り得ぬ多くの心の秘密がある

 人間への限りない愛ゆえに だから私たちは 悟らなければならない

  神の言葉なき言葉を 🌹

 

 

 ☆☆☆勝利の旗を掲げ、お父様に侍って生きていけるようにしてください☆☆☆

 私のお父様、太初にお父様は善のみ旨をもって被造万物を造られ、本性の基準として不変の姿でいらっしゃいましたが、人間がそのようなお父様の善の相対となれなかったがゆえに、お父様の理想を成し遂げて差し上げられませんでした。そのため、善の良心の基準から遠い距離に処するようになったことを知っておりますし、またそれが天と被造万物の嘆息だったことも知っております。

 お父様、私たちには、生命を捧げても、永遠の善の基準を探し出さなければならない、摂理的な運命の道が残っており、この道を最後まで行かなければならない、使命が残っておりますので、大いなるお力によって、この道を行くことができるよう、その歩みを早めさせてください。

 体を通して侵犯してくる悪の要素が、善を志向する心の道を塞いでいますので、お父様、この闘いで善を志向する私の心が、体の制裁を受けて敗北する姿にならないよう、お導きください

 ただ、心を導く善の力と、愛の力に導かれて、お父様を訪ね、不変の姿で和動することができ、分離できない永遠の実存体として、お父様の形状に似る者となり、永遠にお父様に侍って生きていけるよう、抱きかかえてくださることを、お父様、切にお願い申し上げます。

               【天聖経・真の父母様の祈祷 第一章・神様】より

 

 

 

 

 

 

 

霊感商法⁇

  ♦♦♦朝鮮戦争♦♦♦

 1910年、日本に併合された日帝36年の歴史に幕が降ろされ、『1945年8月15日、日本から解放された韓国に「光復」の日がきました。「万歳!」の声と、太極旗の渦に覆われた感激の日でした。しかし私は、遠からず朝鮮半島に訪れるであろう驚くべき災難を予感して、とても深刻になり、喜んで万歳を叫ぶことができませんでした。独り小さな部屋に閉じこもって祈りに熱中しました。不吉な予感どおり、祖国は日本の植民地支配から解放されましたが、すぐに38度線で国が二つに分かれました。北朝鮮の地に神を否定する共産党が足を踏み入れたのです』(自叙伝95ページ)

 

 光復後の混乱状態の中、文鮮明師は、1946年6月6日、「東洋のエルサレム」と言われた平壌に到着後、直ぐ伝道活動を行いますが、信徒が増えることによって既成キリスト教の牧師たちから妬まれ警察に告発されます。宗教を一掃したい共産党当局は格好の口実を得て、「南から来たスパイ」の汚名を着せ、大同保安所に収監します。一度釈放されたものの再び共産党に連行され、そのまま興南監獄に移送され、過酷な労働で自然に死んでいくように仕向けられた強制労働へ、二年五か月間従事させられていきます。

 

 1950年6月25日の韓国動乱によって、38度線を越えた韓国軍と国連軍による興南肥料工場付近の爆撃によって解放され南下しますが、イムジン河を最後の一団として渡ることができ、その直後閉鎖され、この時、朝鮮半島は南北に分断されていったのです。

 

 その頃、日本は朝鮮戦争によって朝鮮半島に出兵した米軍への補給物資の支援、戦車や戦闘機の修理請負などの特需によって、輸出や貿易外取引が増加したことによってもたらされた、この好景気による日本経済は第二次世界大戦前の水準を回復し1951年にはそれを越えることになり、60年代の高度経済成長期に突入していきます。

 ちなみに、この戦争で犠牲になった人は、軍人・民間人の戦死者、負傷者合わせて約250万人、正確な数は把握されていませんが、離散家族約1000万人ともいわれています。

 

 この犠牲の上に、戦後廃墟のようになった日本が、わずか十数年で、アメリカに次ぐ世界経済大国になったことを忘れてはならないでしょう。

 

 1980年代、日本では共産党霊感商法と名付け、旧統一教会を告発し、「壺」「多宝塔」「印鑑」「弥勒仏像」などといったものを媒介として、高額な献金を強要したとか、不幸になると脅かして買わせたとか、国内が騒然としていたようです。一神教に馴染みにくい日本人に、こうした物を媒介とした、日本的宗教観を取り入れた手法で伝道していったと思われます。

 

 当時の関係者に聞きますと、それら物品は、「天運石」といって壺のレリーフをみると四本指の竜など、韓国にちなんだ文様、建物などのモチーフを基に造形され、日本人の先祖の解怨と、朝鮮戦争で犠牲になられた方々への供養の意味もあったといいます。

 テレビの画面からネットショッピングのように並べられた「壺」の頭部を、出演者が脂ぎった手でペタペタ叩きながら批判している姿は、心に刺さるものがありました。

 

  ♦♦♦朝鮮出兵♦♦♦

 私は、念入りに磨かれた乳白色の「白磁」を思わせる地肌を持った、縦に細長くたおやかな姿をした「壺」を大切にしています。そのたたずまいは静謐で、‘凛‘とした美しさに心魅かれるからです。

 それと同時に、1592年~1598年の文禄・慶長の役、つまり「やきもの戦争」と言われた朝鮮出兵です。家族から、愛する人たちから引き離され、日本に連れてこられた朝鮮人陶工・李参平氏たちによって、日本で初めて焼かれた磁器に思いを馳せます。それに伴って「連房式登窯」も伝わり、高質な陶器が量産できるようになり、日本の陶芸文化は急激に発展していきました。

 

 特に〇〇焼とも〇〇〇焼きともいえる和製磁器は目覚ましい発展を遂げ、明治維新以降、西欧に輸出され、日本の経済に大きく貢献してきました。ちなみに土の味わい豊かな唐津焼は、朝鮮の陶工がたちが完成させたものです。

 

 富や豊かさを求めたその裏側にある悲劇や惨劇は、忘れ去られてしまったかのように日本の風土に溶け込んでいますが、れまでにどれだけの多くの血が流されてきたでしょうか、時代の流れに翻弄され消えていった、名もなき朝鮮人陶工たちへ、そして韓国動乱で犠牲になった人たちへの鎮魂と慰霊のために、若い青春を捧げ、さまざまな形で献金を捧げ、時に家庭を犠牲にして、日本の暗い過去を清算していかれたのは旧統一教会の信徒たちだったのです。

 

 1990年代の中頃、私は旧統一教会の関連団体が企画した、文禄・慶長の役の戦場となった、朝鮮王朝の城郭、現在の京畿道水原市キョンキドウ・スオンシ)で行われる慰霊式に随行させていただいたことがあります

 大陸の風土独特の大らかで、野趣といった風情の中に佇む慰霊碑に献花し、祈りを捧げました。12万6千ともいわれた日本の軍勢は、朝鮮に上陸して老若男女問わず虐殺していったといいます。おびただしい数の戦死者で埋め尽くされていたであろう広場の、その傍らにある石碑に刻まれていた犠牲者の中にはわずか十一歳で日本軍と戦って無残な死を遂げた少年兵士のことが書かれてありました。

 この地に日本人が訪れることなほとんどないとのことです。

 

 特に慶長の役では戦功の証として、首級を持ち帰る代わりに鼻や耳をそぎ落とし、塩漬けにして持ち帰り埋めた「耳塚・鼻塚」が、京都市東山区の豊国神社の西にあたる所に、小さな塚(五輪塔が祀られています。ここにも旧統一教会の信徒たちは慰霊のために祈りを捧げてきました。

 誰が、どのように、この人たちの「魂」を慰労してあげられるというのでしょうか。

 

 安倍総理銃撃事件によって、共産党はじめ左翼人権といわれる知識人たちは、霊感商法をわざわざ掘り起こして騒ぎ立てています。当時のことを知る信徒はほとんどリタイアされているか、亡くなっている方もいます。私も詳しくは知らないのですが、否応なしにこの問題に向き合わされ、僅かな記憶を手繰り寄せながら文字起こししているのです。

 しかし、今回のこの騒ぎで、改めて日本の歴史の暗部を浮き彫りにしてくださったともいえるかもしれません。メディアでは放送しない、この問題をもう一度、根本から精査せよという天の声かもしれないとも思えます。

 

 献金のもう一つの意味は、財、物への執着からの離脱によって、新しく生まれ変わるための条件物のといった意味もあります。高いものを買わされたなど、信仰で捧げた献金は企業のお金、資金とはまったく異なります。その時、天に捧げた「心情」に嘘はなかったと思います。

 

 日本のお金は世界平和のための浄財として、感謝して捧げていった人も多くいるのです。信徒たちが余りにも熱心だったことによって、行き過ぎた行為もあったと思います。そうしたところは真摯に悔い改め、正されるべきことですがこれまで日本人の信徒が積み上げてきた「徳」をどうぞ失わないようにして欲しいものです。

 

 現実の社会は横軸の人間のつながりですが、横軸のつながりがあれば、当然、縦の、そのまた縦の軸……というものがあります。私個人に親、先祖、その先祖と続く縦の歴史の時間軸のことです。日本の国にも当然あります。日本の未来に希望をもたらすために、この触れたくない過去の問題を、清算するために取り組んできたのが家庭連合(旧統一教会)です。今この団体を「反社・カルト」といって、国家権力で壊滅させようとしているのです。その選択を間違えないで欲しいと祈るばかりです。

 

 文鮮明師は新しい日本に生まれ変わらせるために日本に投入してこられました。しかし、それには日本の「責任分担」を果たさないといけないのだといわれているのが、以下のみ言です。

 

 

 ☆☆☆神様の恨と復帰摂理☆☆☆

 神様は王座に座って栄光を受ける神様ではありません。堕落した人間に対して、神様は今まで救援するために、毎日痛哭していらっしゃいます。そのような立場で人類を導いてこられたのが神様の姿です。神様はこのような悲惨なお方です。悲惨な姿に落ちた人類を救援するために、神様は寝ている人類を起こして、「来なさい!来なさい!」とおっしゃるのです。しかし、そのようにして行くようにはなっていないのです。責任分担を果たさなければなりません。これを身代わりしてあげられない立場で御業を成し遂げようとするのですから、どれほど大変だったでしょうか。

            【天聖経・第四章 解放してさしあげるべき神様】より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本的なものを超えて [3]

    [平和を愛する世界人として・文鮮明師自叙伝と天聖経]

 

 100年、200年・・・1000年先の未来を見据えた文鮮明師の世界平和へのビィジョンは、第七章に熱く語られています。

 その中でも日本にとって重大な事案が日韓トンネルプロジェクト」です。もしこれが実現されれば日本、韓国のみならず、アジア圏に莫大な経済効果をもたらすことは、世界の投資家たちも関心をもって見ています。それだけではなく安全保障問題から見ても、重大な意味をもっているのです。

 

 今、アジア圏内で最も懸念されているのは中国の脅威です。国際情勢に詳しい方ならご存じだとお思います。日本は海に囲まれた島国です。海外からの輸送物質の重要なルートとなっている南シナ海台湾海峡は、今非常に緊迫した状況に置かれています。

有事の際、それらシーレーンが封鎖されれば、日本は一週間もたずして陥落するといわれています。島国日本が海外との輸送手段のためにも、大陸と続くインフラを整えていくことは、日本の生命線を作ることでもあるのです。

 

 文鮮明師はこうした世界的規模のプロジェクトから、小さな貧しい発展途上国の人たちの貧困と飢餓に苦しむ人たちに、生きるための食料、医薬品、教育機関の充実、文化事業など先進国においては正しい「性」のあり方、倫理道徳の指導などその国や民族に応じた指導をしてこられました。その撒かれた「平和の種」は、日本の信徒たちによる貴い精誠の献金が、しっかりとその地に根づき成長し続けています。

 

 さらに文鮮明師は1960年代~70年代、日本にも共産主義思想が若者の間に浸透していき、共産党が勢力を広めていったとき、国際勝共連合という政治団体を作り、直接的、間接的に指導され日本の共産化を防いできました。

しかし今な尚、共産主義思想はさまざまに形を変えて政界、財界、メディア、マスコミ、地域のコミュニティなど、生活のあらゆるところに静かに浸透し続けています。

 

 長年に亘って共産党と闘ってきた家庭連合(旧統一教会を、「悪」のターゲットとして叩き潰すことに躍起となっていますが、正義という美名に隠れたプロパガンダに煽られたこの「空気」は、一度大きな「風」に乗せられてしまえば、もはや人間の力ではコントロールできなくなるのです。

 

 北海道にはロシア沖縄・九州には中国中央は北朝鮮いづれも核保有国であり、全体主義国に囲まれているのです。彼らはこれまで親密だったアメリカと日本の分断、韓国と日本を対立させ孤立化を狙っています。

有事は突然やってきます。そして瞬間で起こるのです。彼らにとって国際条約はあっても無いに等しいのです。

 

 それが如実に現れたのが1950年6月25日、第二次世界大戦後に定められた38度線を越えて、朝鮮人民共和国(北朝鮮)軍が、大韓民国(韓国)に侵攻した朝鮮戦争ですこの紛争は朝鮮半島のだけの問題ではありません。韓国軍にアメリカを主とする16ヵ国の国連軍と、北朝鮮には中国が参戦、ロシアの支援による世界大戦です。

 先の大戦によって分断されたドイツ、ベトナムはすでに民族の統一がなされましたが、今だ韓国と北朝鮮は戦争状態にあるのです。今は単に休戦しているに過ぎません。

 最後の残されたこの民族が統一されてこそ、本当の意味の世界戦争の終結といえるのです。

韓国、日本、アメリカが世界平和の鍵を握っているといっても過言ではありません。

 

 アジアの安全保障を保持するため、この三か国の連携は何としても維持していかなければなりません。しかし韓国とは長期に渡り歴史的遺恨が根強く残っています。

 

 前述しましたように、自叙伝には日本植民地時代のことも色濃く書かれています。それは自虐史観を押し付けるためではありません。両国が反目しあうことに何のメリット、デメリットがあるのか、冷静に、客観的に考えていかなければ、民主主義国家の未来はないと思います。またそれは1965年6月22日の「日韓基本条約によって解決していることだから今更・・・といわれるかも知れません。国家間の約束としてそれは正しいと思います。

しかしそれでも解決できない問題があるとすれば、どうしたらよいのでしょうか?

 

 日本人も韓国人も変わるしかありません。自叙伝46ページ「牛を愛せば牛が見える」に、苦手な牛に愛情が生まれるまでのお話ですが、『人間も大きな志の前で牛と同じでなければならないと考えました。愚直に時を待てば良いことに出会うこともあるのですとあります。少し話はずれますが、この言葉で直ぐに思い浮かんだものがあります。

 

 いづれの方も既に故人となられましたが、バイオテクノロジーの世界的権威者ともいわれる💛筑波大学名誉教授・村上一雄氏の著著「アホは神の望み・素直で正直、器が大きなアホであれ!」[Stay Honest,Stay Foolish!](サンマーク文庫)、また💛アップルコンピューターの創始者スティーブ・ジョブズも、幾度もの挫折を乗り越え、波乱に満ちたの人生の中で、スタンフォード大学で行った卒業祝賀スピーチ、[Stay hungry,stay foolish!]「ハングリーであれ、愚かであれ!」は感動的でインターネットで世界中に広がりました。

 文鮮明師は宗教家として、村上一雄氏は科学者として、スティーブ・ジョブズは事業家として、それぞれ立場は違いますが、目にはみえないけれど、自分が無い💛「無我の境地」に働きかける究極的なパワーをもった存在が ‟在る”ということを感知していたのです。

 

 話をもとに戻します。光線によって色が変化するように、欠点も角度を変えて見れば長所になることもあります。日本人としての痛みはありますが、先人たちの残した負の遺産にも目を向けることは、自分自身のアイデンティティを見つめ直す大切な教材でもあります。「知る」ことで変えられることがたくさんあるからです。

 

 ドイツの政治家、オットー・フォン・ビスマルクの有名な言葉「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と、過去、現代、未来は一本の縦軸です。過去は変えられませんが、現在と未来は変えられます。他者を変えることは難しいことですが、自分を変えることは努力次第でできます。

 

 日本人、韓国人、アメリカ等々、全ての垣根を取り払い、共通の分母(神霊と真理)を持った世界人として未来に向けて歩み出していかれることを、文鮮明師は天上の世界でも祈り続けられています。

 

 ありがとうございました。

 

 

   ☆☆☆心と体の平和☆☆☆

 人類は平和の世界を願っていますが、数千万年たっても平和になっていません。堕落人間ではできないのです。平和の主人とは誰でしょうか。家庭が平和になるには、平和の主人である父と母が平和の原因と平和の内容、生活方法を教えなければなりません。その前には、永遠の平和を見い出すことはできません。

 人類の先祖は、平和を実現しましたか。アダムとエバは恩讐になりました。その恩讐の血統を受けた皆さんは、心と体の間に闘いが起こっています。心と体がなぜ闘うようになったでしょうか。心と体が闘うようになったのは、平和の本現地を失ったか、破壊されたためです。心と体の平和の基準を見い出せない人々が、平和をどうして探し出すことができますか。闘う人は、家庭から追い出され、国家と世界から追い出されるようになります。今日、人類全体が、心と体が闘っているのに、天国に行くことができますか。いくら修行しても行けません。ですから、宗教の目的は、心と体を統一するところにあるのです。

 

   ☆☆☆心と体の闘争☆☆☆

 心と体の闘いは、核実験よりもっと恐ろしい戦争です。その戦争には休戦もありますが、ここには休戦もなく終戦もありません。私たちの人生がこの地上に存続し始めた日から終わる日まで、私たちの心の底では休戦もなく、戦争が続けられているのです。このような人々が家庭を形成し、氏族を形成したので、一層闘うようになり、このような民族と民族が合わさったので、もっと闘うようになり、国家と国家が闘うようになりました。今までの人類歴史は、戦争につながった歴史でした。一日として戦争のやむ日はありませんでした。その戦いの根拠地は、心と体です。心と体が闘いの根拠地となって、個人、家庭、氏族、民族、国家がそのようになったのです。

              【天聖経・第二章 平和はどのようになされるか】より

 

 

草むらの虫と交わす宇宙の話

    ☘【平和を愛する世界人として・文鮮明師自叙伝・天聖経】 

 

 第一章 幼少時代 草むらの虫と交わす宇宙の話

 森の中にいれば心が澄んできます。木の葉がしきりにカサカサする音風が葦を揺らす音、水場で鳴くカエルの鳴き声といった自然の音だけが聞こえ、何の雑念も生じません。  そこで、心をがらんと開け、自然を全身で受け入れれば、自然と私は別々のものではなくなります。自然が私の中に入ってきて、私と完全に一つになるのです。自然と私の境界がなくなる瞬間、奧妙な喜びに包まれます。自然が私になり、私が自然になるのです。

 

 私はそのような経験を生涯大事にしまって生きてきました。今も目を閉じれば、いつでも自然と一つになれる状態が訪れます。ある人は無我の状態だとも言いますが、私を完全に解放したところに自然が入って留まるのですから、事実は無我を超えた状態です。その状態で、自然が話かける音を聞くのです。松の木が出す音、草むらの虫が発する音・・・。

 そうやって私たちは友達になります。

 

 私は、その村にどんな心性を持った人が住んでいるか、会って見なくても知ることができます。村の野原に出て一晩過ごし、田畑で育つ穀物の言葉に耳を傾ければ、自ずと分かるようになります。穀物が嘆息するのか喜ぶのかを見れば、村人の人となりを知ることができるのです。

 

 韓国と米国、さらには北朝鮮で何度か監獄に入っても、他の人のように寂しいとかつらいとか思わなかったのも、すべてその場所で風の音を聞くことができ、共に暮らす虫たちと会話を交わすことができたからです。

「虫たちと一体どんな話をするんだ!」と疑うこともできますが、ちっぽけな砂粒の一つにも世の中の道理が入っており、空気中に浮かぶ埃一つにも広大無辺な宇宙の調和が入っています。私たちの周りに存在するすべてのものは、想像もできないほどの複合的な力が結びついて生まれているのです。また、その力は綿密に関連して相互につながっています。

 

 大宇宙のあらゆる存在物は、一つとして神の心情の外で生まれたものはありません。木の葉一枚揺れることにも宇宙の息遣いが宿っています。

 

 私は幼いころから山や野原を飛び回って、自然の音と交差する貴重な能力を与えられました。自然はあらゆる要素が一つのハーモニーをなして、偉大で美しい音を作り出します。誰一人として排除したり無視したりせず、どんな人でも受け入れて調和をもたらします。

 

 自然は、私が困難にぶつかるたびに、私を慰めてくれたし、絶望して倒れるたびに、私を奮い立たせました。大都市に生きる最近の子供たちは、自然と親しむ機会すらありませんが、感性を育むことは知識を養うことより重要です。自然を感じる心がなく、感性が乾いた子供であるならば、誰が教育したところで何が変わるでしょうか。せいぜい世間に広まった知識を積み上げて個人主義者になるだけです。そんな教育では、物質を崇拝する唯物論者ばかりを作り出すことになってしまいます。

 

 春の雨はぽつぽつ降り秋の雨はぱらぱら降る、その違いを感じることができなければなりません。自然との交換を楽しめる人であってこそ正しい人格が身につくと言えます。道端に咲いたタンポポ一本が天下の黄金よりも尊いのです。自然を愛し、人を愛することのできる心を備えておくべきです。自然も人も愛せない人は、神を愛することはできません。神が創造された万物は、神ご自身を現す象徴的な存在であり、人は神に似た実態的な存在です。万物を愛することのできる人だけが、神を愛することができます。

 

  20世紀の最大の科学者・アイシュタインはご自身の「思考法」を問われたとき、「私は100%イメージによって考えます」と答えています。数学的なもの、倫理的なものを超えた直観力、インスピレーションなどが科学に必要であるといっていっているのではないかと思います。

 

 💛ありがとうございました。

 

 

   ☆☆☆第一節・万物から学ぶ☆☆☆

神様は愛ゆえに創造をしました。初めから終わりまで、ご自身のすべてを注ぎ込んだのです。ですから神様は、「わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終わりである」(黙示録21・6)と言ったのです。それは、愛を中心とした所でのみ可能です。愛の中、そこではすべてを包括できます。神様も、愛ゆえに宇宙を造り、愛ゆえに生きるというのです。愛の対象が必要だったので創造したのです。そして、人間をモデルとし、東西南北、四方に広げたのです。ですから、すべての万物、すなわち鉱物、植物、動物界、そのすべてがペアでできています。ペア・システムを中心とした万物は、理想的な愛を探し求めていく人間にとって教材です。虫を見ても、雄と雌が愛を交わすのです。すべて教材です。

                      【天聖経・第一節万物から学ぶ】より