霊感商法⁇

  ♦♦♦朝鮮戦争♦♦♦

 1910年、日本に併合された日帝36年の歴史に幕が降ろされ、『1945年8月15日、日本から解放された韓国に「光復」の日がきました。「万歳!」の声と、太極旗の渦に覆われた感激の日でした。しかし私は、遠からず朝鮮半島に訪れるであろう驚くべき災難を予感して、とても深刻になり、喜んで万歳を叫ぶことができませんでした。独り小さな部屋に閉じこもって祈りに熱中しました。不吉な予感どおり、祖国は日本の植民地支配から解放されましたが、すぐに38度線で国が二つに分かれました。北朝鮮の地に神を否定する共産党が足を踏み入れたのです』(自叙伝95ページ)

 

 光復後の混乱状態の中、文鮮明師は、1946年6月6日、「東洋のエルサレム」と言われた平壌に到着後、直ぐ伝道活動を行いますが、信徒が増えることによって既成キリスト教の牧師たちから妬まれ警察に告発されます。宗教を一掃したい共産党当局は格好の口実を得て、「南から来たスパイ」の汚名を着せ、大同保安所に収監します。一度釈放されたものの再び共産党に連行され、そのまま興南監獄に移送され、過酷な労働で自然に死んでいくように仕向けられた強制労働へ、二年五か月間従事させられていきます。

 

 1950年6月25日の韓国動乱によって、38度線を越えた韓国軍と国連軍による興南肥料工場付近の爆撃によって解放され南下しますが、イムジン河を最後の一団として渡ることができ、その直後閉鎖され、この時、朝鮮半島は南北に分断されていったのです。

 

 その頃、日本は朝鮮戦争によって朝鮮半島に出兵した米軍への補給物資の支援、戦車や戦闘機の修理請負などの特需によって、輸出や貿易外取引が増加したことによってもたらされた、この好景気による日本経済は第二次世界大戦前の水準を回復し1951年にはそれを越えることになり、60年代の高度経済成長期に突入していきます。

 ちなみに、この戦争で犠牲になった人は、軍人・民間人の戦死者、負傷者合わせて約250万人、正確な数は把握されていませんが、離散家族約1000万人ともいわれています。

 

 この犠牲の上に、戦後廃墟のようになった日本が、わずか十数年で、アメリカに次ぐ世界経済大国になったことを忘れてはならないでしょう。

 

 1980年代、日本では共産党霊感商法と名付け、旧統一教会を告発し、「壺」「多宝塔」「印鑑」「弥勒仏像」などといったものを媒介として、高額な献金を強要したとか、不幸になると脅かして買わせたとか、国内が騒然としていたようです。一神教に馴染みにくい日本人に、こうした物を媒介とした、日本的宗教観を取り入れた手法で伝道していったと思われます。

 

 当時の関係者に聞きますと、それら物品は、「天運石」といって壺のレリーフをみると四本指の竜など、韓国にちなんだ文様、建物などのモチーフを基に造形され、日本人の先祖の解怨と、朝鮮戦争で犠牲になられた方々への供養の意味もあったといいます。

 テレビの画面からネットショッピングのように並べられた「壺」の頭部を、出演者が脂ぎった手でペタペタ叩きながら批判している姿は、心に刺さるものがありました。

 

  ♦♦♦朝鮮出兵♦♦♦

 私は、念入りに磨かれた乳白色の「白磁」を思わせる地肌を持った、縦に細長くたおやかな姿をした「壺」を大切にしています。そのたたずまいは静謐で、‘凛‘とした美しさに心魅かれるからです。

 それと同時に、1592年~1598年の文禄・慶長の役、つまり「やきもの戦争」と言われた朝鮮出兵です。家族から、愛する人たちから引き離され、日本に連れてこられた朝鮮人陶工・李参平氏たちによって、日本で初めて焼かれた磁器に思いを馳せます。それに伴って「連房式登窯」も伝わり、高質な陶器が量産できるようになり、日本の陶芸文化は急激に発展していきました。

 

 特に有田焼とも伊万里焼きともいえる和製磁器は目覚ましい発展を遂げ、明治維新以降、西欧に輸出され、日本の経済に大きく貢献してきました。ちなみに土の味わい豊かな唐津焼は、朝鮮の陶工がたちが完成させたものです。

 

 富や豊かさを求めたその裏側にある悲劇や惨劇は、忘れ去られてしまったかのように日本の風土に溶け込んでいますが、れまでにどれだけの多くの血が流されてきたでしょうか、時代の流れに翻弄され消えていった、名もなき朝鮮人陶工たちへ、そして韓国動乱で犠牲になった人たちへの鎮魂と慰霊のために、若い青春を捧げ、さまざまな形で献金を捧げ、時に家庭を犠牲にして、日本の暗い過去を清算していかれたのは旧統一教会の信徒たちだったのです。

 

 1990年代の中頃、私は旧統一教会の関連団体が企画した、文禄・慶長の役の戦場となった、朝鮮王朝の城郭、現在の京畿道水原市キョンキドウ・スオンシ)で行われる慰霊式に随行させていただいたことがあります

 大陸の風土独特の大らかで、野趣といった風情の中に佇む慰霊碑に献花し、祈りを捧げました。12万6千ともいわれた日本の軍勢は、朝鮮に上陸して老若男女問わず虐殺していったといいます。おびただしい数の戦死者で埋め尽くされていたであろう広場の、その傍らにある石碑に刻まれていた犠牲者の中にはわずか十一歳で日本軍と戦って無残な死を遂げた少年兵士のことが書かれてありました。

 この地に日本人が訪れることなほとんどないとのことです。

 

 特に慶長の役では戦功の証として、首級を持ち帰る代わりに鼻や耳をそぎ落とし、塩漬けにして持ち帰り埋めた「耳塚・鼻塚」が、京都市東山区の豊国神社の西にあたる所に、小さな塚(五輪塔が祀られています。ここにも旧統一教会の信徒たちは慰霊のために祈りを捧げてきました。

 誰が、どのように、この人たちの「魂」を慰労してあげられるというのでしょうか。

 

 安倍総理銃撃事件によって、共産党はじめ左翼人権といわれる知識人たちは、霊感商法をわざわざ掘り起こして騒ぎ立てています。当時のことを知る信徒はほとんどリタイアされているか、亡くなっている方もいます。私も詳しくは知らないのですが、否応なしにこの問題に向き合わされ、僅かな記憶を手繰り寄せながら文字起こししているのです。

 しかし、今回のこの騒ぎで、改めて日本の歴史の暗部を浮き彫りにしてくださったともいえるかもしれません。メディアでは放送しない、この問題をもう一度、根本から精査せよという天の声かもしれないとも思えます。

 

 献金のもう一つの意味は、財、物への執着からの離脱によって、新しく生まれ変わるための条件物のといった意味もあります。高いものを買わされたなど、信仰で捧げた献金は企業のお金、資金とはまったく異なります。その時、天に捧げた「心情」に嘘はなかったと思います。

 

 日本のお金は世界平和のための浄財として、感謝して捧げていった人も多くいるのです。信徒たちが余りにも熱心だったことによって、行き過ぎた行為もあったと思います。そうしたところは真摯に悔い改め、正されるべきことですがこれまで日本人の信徒が積み上げてきた「徳」をどうぞ失わないようにして欲しいものです。

 

 現実の社会は横軸の人間のつながりですが、横軸のつながりがあれば、当然、縦の、そのまた縦の軸……というものがあります。私個人に親、先祖、その先祖と続く縦の歴史の時間軸のことです。日本の国にも当然あります。日本の未来に希望をもたらすために、この触れたくない過去の問題を、清算するために取り組んできたのが家庭連合(旧統一教会)です。今この団体を「反社・カルト」といって、国家権力で壊滅させようとしているのです。その選択を間違えないで欲しいと祈るばかりです。

 

 文鮮明師は新しい日本に生まれ変わらせるために日本に投入してこられました。しかし、それには日本の「責任分担」を果たさないといけないのだといわれているのが、以下のみ言です。

 

 

 ☆☆☆神様の恨と復帰摂理☆☆☆

 神様は王座に座って栄光を受ける神様ではありません。堕落した人間に対して、神様は今まで救援するために、毎日痛哭していらっしゃいます。そのような立場で人類を導いてこられたのが神様の姿です。神様はこのような悲惨なお方です。悲惨な姿に落ちた人類を救援するために、神様は寝ている人類を起こして、「来なさい!来なさい!」とおっしゃるのです。しかし、そのようにして行くようにはなっていないのです。責任分担を果たさなければなりません。これを身代わりしてあげられない立場で御業を成し遂げようとするのですから、どれほど大変だったでしょうか。

            【天聖経・第四章 解放してさしあげるべき神様】より