【平和を愛する世界人として】第二章・神の召命と艱難(3)

☆☆☆ 巨大な秘密の門を開ける鍵 ☆☆☆

 🌹故郷で山という山は全部足を運んで登ったように、ソウルも隅々まで行かなかった所がありません。その頃、ソウル市内を電車が走っていました。電車賃は五銭でしたが、それさえもったいなくて、🍀いつも歩いて行きました。蒸し暑い夏の日は汗をたらたら流して歩き、極寒の冷たい冬は肉を抉る(えぐる)ような風をくぐり抜けるようにして歩きました。もともと足が速い私は、黒石洞(フクソクトン)から漢江(ハンガン)を渡ってチョンノの和信(ファシン)百貨店まで四十五分あれば着きました。普通の人には一時間半ほどの道のりですから、どれだけ早足だったか想像がつくでしょう。浮いた電車賃は貯めておいて、私以上にお金に困った人に分け与えました。出すのが恥ずかしいくらいの微々たる金額だとしても、大金を出せなくて申し訳ないという気持ちで、そのお金が福の種になるようにと思って渡しました。

 

 🌹四月には故郷からきちんと学費を送ってきましたが、生活が苦しい周囲の人たちを見過ごしにできず、五月になる前に全部なくなりました。学校に行く途中、息も絶え絶えの人に出くわしたことがあります。かわいそうに思うと足が止まってしまい、その人を背負って二キロほど離れた病院に向かって走り出しました。運良く財布に入っていた学費の残りで治療費を払うと、あとはもうすっからかんです。今度は自分の学費が払えなくなり、学校から督促を受けることになりました。それを見て、友人がお金を一銭、二銭と集めてくれました。その時の友人は生涯忘れられません。

 

 🌹助け合うこともまた、天が結んでくれる因縁です。その時はよく分からなくても、後で振り返ってみて、「ああ、それで私をその場に送られたのか」と悟るようになりました。ですから、突然私の前に助けを乞う人が現れたら、💛「天がこの人を助けるようにと私に送られたのだ」と考えて、心を込めて仕えます。天が「十を助けなさい」と言うのに、五しか助けないのでは駄目です。「十を与えよ」と言われたら、百を与えるのが正しいのです。🌺人を助けるときは惜しみなく、財布をはたいてでも助けるという姿勢が大切です。

 

 🌹ソウルにきて、ケピトック(風餅)というお菓子を初めて見ました。色や模様が美しいので、「ああ、こんなに美し餅がたくさんあるなあ」と言って口に入れて噛むと、中の空気が抜けてぺちゃんこに潰れるではありませんか。その時思いました。ああ、ソウルという所はそのままこのケピトックのようだ、と。「抜け目のないソウルっ子」という言葉がなぜ生まれたのか分かった気がしました。ソウルは外から眺めると、地位の高い立派な職業の人ばかりいる富者の世の中に見えますが、その実態は貧者の天下です。漢江(ハンガン)の橋の下にぼろぼろの服を着た乞食があふれていました。私は漢江の橋の下の貧民窟を訪ねて行き、彼らの頭を刈って心を通わせました。貧しい人は涙もろいのです。胸の中に溜まりにたまった思いが高ずるのか、私が一言声をかけても泣き出して、大声で泣き叫びました。手には、ぽりぽり掻くと白い跡ができるほど、べっとりと垢がこびりついています。物乞いでもらってきたご飯を、その手でじかに私にくれたりもしました。そんな時は、汚いとは言わずに喜んで一緒に食べました。

 

 🌹ソウルにいたときも熱心に教会に通いました。教会で日曜学校の先生を務めたことを思い出します。私の話は抜群に面白くて、子供たちがとても喜びました。

 🌹明水台(ミョンスデ)の裏側に瑞達山(ソダルサン)があります。 瑞達山の岩に登って、🍀しばしば夜を徹して祈りました。寒くても暑くても、一日も休まず祈りに熱中しました。🍀一度祈りに入れば涙と鼻水が入り混じるくらい泣き、神様から受けたみ言(みことば)を胸に抱いて、何時間も祈りだけに集中しました。🍀神様のみ言はまるで暗号のようで、それを解こうとすればより一層祈りに没頭しなければなりません。今考えると、その時すでに、🍀神様は秘密の門を開ける鍵を親切に与えてくださったのに、私の祈りの不足ゆえにその門を開けることができませんでした。そういう訳で、ご飯を食べても食べた気がせず、目を閉じても眠れませんでした。

 

 🌹一緒に下宿していた友人たちは、私が山に登って夜通し祈っていることはよく知らないようでした。それでも、他の人とは違う何かが感じられたのか、私に一目置いていました。平素はおどけた言動をして仲良く過ごしたものです。私は誰とでも気持ちがすっと通じます。お婆さんが来ればお婆さんと友達になり、子供たちが来れば子供たちとふざけたりして遊びます。🌻相手が誰であっても、愛する心で接すればすべて通じるのです。

 🌹黒岩洞(フクソクトン)の頃、早朝祈祷会で私の代表祈祷に感化され、私を訪ねてきて親しくなった💜李奇完(イギワン)おばさんとは、この世を去るときまで四十数年間、友情を分かち、友として交流しました。💚妹の李奇鳳(イギボン)おばさんは、私が下宿した家の女主人でした。下宿の掃除で何かと忙しそうにしていましたが、いつも私に温かく接してくれました。私に良くすれば自分の心が楽になるといって、おかず一つでももっと食べさせようと気を配ってくれました。無口で、別段面白みもない私を、なぜそんな風に可愛がって良くしてくれたのか分かりません。後日、私が京畿道キョンキド)警察部に収監された時は差し入れもしてくれました。💛今も李奇鳳(イギボン)おばさんを思えば胸が温かくなります。

 

 🌹自炊の家の近所で小さなお店を出していた宋(ソン)おばさんも、その頃の大事な恩人です。おばさんは、故郷を離れて暮らすのはお腹が空いて大変だろうといって、店の売れ残りがあると何でも持ってきてくれました。小さな店を切り盛りしてやっと食べている立場なのに、私にはいつも厚い情けをかけてくれて、食べ物を用意してくれました。

 

  🌹漢江の川辺で礼拝を捧げた日のことです。昼食時間になって会衆はばらばらに座ってご飯を食べ始めました。昼食を取らない私は、その中にぼんやり座っていても仕方ないので、一人だけですっと後ろに離れて、川辺の石の小山に座っていました。それを見た宋おばさんが、🍀パン二個とアイスケーキを二個持ってきてくれました。それがどれだけありがたかったかしれません。一つ一銭で、全部で四銭にしかならないものでしたが、💜おばさんの心遣いは今も私の心に刻まれています。

 

 🌹いくら小さいことでも、いったんお世話になったら生涯忘れることはできません。年が九十歳になった今も、いつ誰が何をしてくれたか、また、いつ誰がどのようにしてくれたか、すらすら話すことができます。私のために労苦惜しまず、陰徳を施してくれた人たちを生涯忘れることはできません。

 🌹陰徳を受けたときは、必ずもっと大きくして返すのが人の道です。しかし、その人に直接会えないこともあるでしょう。恩恵を施してくれた人に直接会えなかったとしても、大事なのはその人を思う心です。ですから、その人に会えなくても、受けた恵みを今度はほかの人に施そうという一途な心で生きるのが良いのです。

 

 

     ☆☆☆ 真の人間の心と体 ☆☆☆

 私たちはよく、「心がまっすぐだ」と言います。一直線に垂直に立ったものを「まっすぐ」と言います。木も横に傾いたものは「まっすぐ」とは言いません。心がまっすぐだというのは、垂直に立っているという意味です。ですから人は立って歩くのです。垂直になってこそまっすぐなのです。自分の心を完全に垂直にしなければなりません。そこにおいて体が水平線になるのです。このように垂直と水平が私たちの内部で形成されるとき、垂直において引く力と水平において押す力がバランスを取るようになり、求心力と遠心力が形成されるのです。

 

     ☆☆☆ 心は第二の神様 ☆☆☆

 十人の友人の中で、「私のために生きろ」という人からは、友人がすべて離れていきます。しかし、九人のために自分の生命まで捧げようとする人は、その中心者になるのです。ですから、ために生きるようになれば、滅びるのではありません。主人になるのであり、師にもなるのであり、父母にもなるのです。

 神様は遠くにいらっしゃるのではありません。「私」の中にいらっしゃいます。心が皆さんの主人です。夜に悪いことをしようとしても、現れて「してはいけない」と言い、いつでも現れて主人の役割を果たし、どこでも母のように、師のようにお教えてくれるのです。

 

               【天聖経・第一章・神様が創造された真の人間】より