2024-01-01から1年間の記事一覧

【平和を愛する世界人として】第二章・神の召命と艱難(11)

☆☆☆ 国連軍が開けてくれた監獄の門 ☆☆☆ 興南で投獄されていた間に朝鮮戦争(1950年6月25日、北朝鮮が突如韓国を侵略した。韓国では「6.25動乱」と呼ばれている)が勃発(ぼっぱつ)しました。戦争が始まって三日目、韓国軍はソウルを明け渡して南部に後退し…

【平和を愛する世界人として】第二章・神の召命と艱難(10)

☆☆☆ 雪降る興南監獄で ☆☆☆ 監獄で食べ物の次に恋しかったのは針と糸でした。労働でぼろぼろになった衣服を繕おうとしても針と糸がないとそれができません。そうなると、獄中生活が長くなればなるほど乞食のような格好になってしまいます。特に興南の冷たい冬…

【平和を愛する世界人として】第二章・神の召命と艱難(9) 

☆☆☆ ご飯一粒が地球よりも大きい ☆☆☆ 平壌刑務所に入所して一カ月半が過ぎた五月二十日、私は興南(フンナム)監獄に移送されました。自分一人であれば逃亡でも何でもできましたが、強盗犯や殺人犯と一緒の組になっていたためできませんでした。列車で十七時…

【平和を愛する世界人として】第二章・神の召命と艱難(8)

☆☆☆ 拒否できない命令 ☆☆☆ 光復の直後、韓国の実情は言うに言えない混乱状態でした。お金があっても米を手に入れることは簡単ではありませんでした。とうとう家に米がなくなったので買っておいた米を取りに黄海道(フアンヘド)の白川(ペクチョン)に向かい…

【平和を愛する世界人として】第二章・神の召命と艱難(7)

☆☆☆ どうか死なずに耐え忍んでほしい ☆☆☆ ひたすら祈りに精進し続けるうちに、結婚する時がきたことを直感しました。神の道を行くと決めた以上、すべての歩みは神の支配下にあります。祈りを通して時を知ればしたがわざるを得ませんでした。そこで、仲人の経…

【平和を愛する世界人として】 第二章・神の召命と艱難(6)

☆☆☆ 穏やかな心の海 ☆☆☆ 日本が始めた大東亜戦争の戦況は日増しに切迫していきました。切羽詰まった日本は、不足する軍人の穴を埋めるために、健康な二十歳以上の学生を休学させて、♦学徒兵として出征させました。そのため、私も六カ月早く卒業することにな…

【平和を愛する世界人として】第二章・神の召命と艱難(5)

☆☆☆ 労働者の友となった苦労の王様 ☆☆☆☆ ソウルにいた時と同様、東京でも行かない所がないくらいあらゆる土地を歩き回りました。友人が日光のような景勝地を見物に行くときも、私は一人残って東京市内の至る所を歩いて回ってみました。見た目はきらきらして…

【平和を愛する世界人として】第二章・神の召命と艱難(4)

☆☆☆ ぐつぐつと煮えたぎる火の玉のように ☆☆☆ 京城(けいじょう)商工実務学校を終え、1941年に日本に留学しました。日本をはっきりと知らなければならないという考えから出発した留学でした。汽車に乗って釜山に下っていくとき、なぜか涙があふれて、外套を…

【平和を愛する世界人として】第二章・神の召命と艱難(3)

☆☆☆ 巨大な秘密の門を開ける鍵 ☆☆☆ 故郷で山という山は全部足を運んで登ったように、ソウルも隅々まで行かなかった所がありません。その頃、ソウル市内を電車が走っていました。電車賃は五銭でしたが、それさえもったいなくて、いつも歩いて行きました。蒸し…

【平和を愛する世界人として】第二章・神の召命と艱難(2)

☆☆☆ 胸が痛ければ痛いほどひたむきに愛せ ☆☆☆ 私は非常に激しく混乱しました。両親にも打ち明けられず、かといって、心の中にぎゅっとしまい込んでおくわけにもいかない大きな秘密を抱えてしまったのです。どうしていいか分からず、途方に暮れました。☘明ら…

【平和を愛する世界人として】第二章・神の召命と艱難(1)

☆☆☆ 恐れと感激が交差する中で ☆☆☆ 私は物心がついてくると、「将来何になるのか」という問題について熱心に考え始めました。自然を観察し研究することが好きだったので、科学者になろうかと考えましたが、日本の収奪に苦しめられ、日に三度の食事さえままな…

【平和を愛する世界人として】文鮮明師・自叙伝☆☆序文☆☆

序文 乾いた冬の終わりに、夜通し春雨が降りました。どれほどうれしいことでしょうか。朝の間中、庭をあちらこちらと歩き回りました。湿りを得た地から、冬の間ずっと嗅ぐことのできなかった土の香りが芳(かぐわ)しく匂いた立ち、枝垂(しだ)れ柳や桜の木…

アメリカ再興のためのメッセージ・そして日本と……。

【平和を愛する世界人として・文鮮明師自叙伝】 1958年、日本の外的な経済の急成長と共に内生的(霊性)の成長を必要として、圧政政治の記憶から誰もが反対する中、まだ国交のない日本に崔奉春(チェポンチュン・西川勝)宣教師を送りました。そして翌年、19…

天一国時代の祈祷・人は何のために祈るのか

☘ 【天一国時代の祈祷・文鮮明師のみ言選集より】 ☘ プロローグ 去る二十世紀は目覚ましい科学の発達によって、人間の生活条件が大きく向上した世紀でした。しかし、その一方では、世界的紛争と道徳的退廃の世紀でもありました。科学と文明の発達は人々に豊…

神の言葉なき言葉を

ある日、表紙はボロボロ、中の用紙も薄茶に焼けて、時間の流れを感じる小冊子が、私の仕事机の上に置かれていました。誰が置いたのか不明ですが、中を開いて見ると、そこには、推定ですが1970年~80年代と思われる、旧統一教会の若い青年信徒たちが、深い祈…

霊感商法⁇

♦♦♦朝鮮戦争♦♦♦ 1910年、日本に併合された日帝36年の歴史に幕が降ろされ、『1945年8月15日、日本から解放された韓国に「光復」の日がきました。「万歳!」の声と、太極旗の渦に覆われた感激の日でした。しかし私は、遠からず朝鮮半島に訪れるで…

日本的なものを超えて [3]

☘[平和を愛する世界人として・文鮮明師自叙伝と天聖経]☘ 100年、200年・・・1000年先の未来を見据えた文鮮明師の世界平和へのビィジョンは、第七章に熱く語られています。 その中でも日本にとって重大な事案が「日韓トンネルプロジェクト」です。もしこれが…

草むらの虫と交わす宇宙の話

☘【平和を愛する世界人として・文鮮明師自叙伝・天聖経】☘ 第一章 幼少時代 草むらの虫と交わす宇宙の話 森の中にいれば心が澄んできます。木の葉がしきりにカサカサする音、風が葦を揺らす音、水場で鳴くカエルの鳴き声といった自然の音だけが聞こえ、何の…

日本的なものを超えて [2]

☘【平和を愛する世界人として・文鮮明師自叙伝と天聖経】☘ 文鮮明師は日本の植民地時代、1920年陰暦1月6日、現在の北朝鮮平安北道安州郡にて、父・文慶裕氏と母・金慶継氏のご次男としてお生まれになりました。 10歳のころ、牧師である潤國大叔父の影響で一…

父の背中におぶさって学んだ平和

【平和を愛する世界人として・文鮮明師自叙伝】 第一章 幼少時代・父の背中におぶさって学んだ平和 私は生涯一つのことだけ考えて生きてきました。戦争と争いがなく世界の人たちが愛を分かち合う世界、一言でいえば、平和な世界をつくることが私の幼い頃から…

日本的なものを超えて [1]

「平和を愛する世界人として」文鮮明師・自叙伝と天聖経 2022年7月8日安倍総理銃撃事件以降、日本中のメディアは民主主義の基本である対話のプロセスを経ることなく、家庭連合(旧統一教会)バッシング報道の一色になっていきました。 家庭連合イコール「反…