☆🐟☆🐟☆ 真の愛は真の家庭から ☆🐟☆🐟☆
🌹男女がいくら愛し合っても、幸福な家庭を完成させるには、♦必ず家庭の囲いとなる父母がいて、大切にする子供がいなければなりません。♦家族という囲いがしっかりしているとき、その家庭は初めて幸福になります。いくら大きな社会的成功を収めたとしても、♦家族の囲いが崩れてしまえば不幸になってしまいます。
🌹愛の土台となるのは、お互いがお互いのために、♦すべてのものを捧げる犠牲の心です。♦父母の愛が真の愛であるのは、持っているものをすべて与えても、もっと与えたいという情の発露から現れた愛だからです。♦子供を愛する父母は、与えたことを覚えていません。♦「おまえには、何月何日に靴を買ってやり、服も買ってやった。おまえのためにこれまで散々苦労したが、その代価はいくらだ」と、♦帳簿に書いておく父母は一人もいません。かえって、♦自分が持っているものをすべて与えても、♦「これ以上与えることができなくて本当に済まない」と言うのが父母です。
🌹幼い頃、養蜂(ようほう)をしていた父に付いて回り、ミツバチが遊ぶ様子をたくさん見ました。🌷花畑を飛び回っていたミツバチが、密の匂いを嗅ぐと、🌻花びらにしっかりと足をつけ、尻尾を後ろにしたまま、口を雄しべと雌しべに差して密を吸います。その時、♦ミツバチに近づいて、尻尾をつまんで引き抜いても、密から離れません。♦命がけで密を守るのです。
🌹家庭を守って暮らす父母の愛は、まさにこのミツバチと同じです。♦自分の命が尽きても、子供に対する愛の紐を放しません。💛子供のために命を捨て、さらには命を捨てたことさえ忘れるのが父母の真の愛です。♦いくら道が遠く険しくても、父母は喜んでその道を行きます。💛父母の愛は世の中で最も偉大な愛です。
🌹いくら経済的に豊かで山海の珍味を食べて暮らしても、♦父母がいなければ、心ががらんと空いてしまいます。♦父母の愛を受けられず、知らずに育った人の心の中には、他のどんなものでも満たすことのできない、♦深い孤独と寂しさが隠れています。♦家庭は父母の真の愛を受けて、愛を学ぶ所です。♦幼少期に愛されなかった子供たちは、生涯愛に飢え、情緒的な苦痛を受けるだけでなく、♦家庭や社会のために、当然すべきことがあるという、♦高い道徳的な義務を学ぶ機会を失ってしまいます。♦その意味でも、真の愛は、家庭以外の他の場所では、決して学ぶことができない、貴重な価値を持った所だと言えます。
🌹真の家庭は、夫と妻、父母と子女、兄弟姉妹が、お互いに為に生きて愛する所です。♦さらには、夫は妻を神様のように愛し、妻は夫を神様のように尊敬する所です。♦夫は父の代身であり、兄の代身なので、血のつながった父を捨てることができず、また兄を捨てることができないように、夫を捨てることはできないのです。♦妻もやはり同じです。ですから、♦「離婚」という言葉はあり得ません。このように、♦お互いを絶対的な存在として暮らす所が、真実の愛にあふれた真の家庭です。
🌹お互いに異なる人種と文化的背景を持つ夫婦だとしても、♦神様の愛を受けて家庭を持ったのなら、彼らの間に生まれた子供たちの間で、文化的葛藤というものはあり得ません。♦その子供たちは、父母の愛する心で、母の国と父の国の文化と伝統を、すべて愛して大切にするのです。しかがって、♦多文化家庭の葛藤の解決は、どのような知識を教えるかではなく、その父母が、真の愛で子供を愛するかどうかにかかっています。♦父母の愛は子供の肉と骨の中に、露のように染み込んで、母の国と父の国を、一つのものとして受け入れさせ、♦子供が立派な「世界人」として育つようにするための肥料となります。
🌹家庭というのは、♦人類愛を学び教える学校です。♦父母の温かい愛を受けて育った子供は、外に出ていけば、家で学んだとおりに、困っている人を愛の心で助けるでしょう。また、♦兄弟姉妹の間で、情け深い愛を分かち合って育った子供は、社会に出て、隣人と厚い情を分かち合って生きていくでしょう。♦愛で養育された人は、世の中のどんな人にでも家族のように思うものです。自分の家族のように思って人に仕え、💛人に自分のものを分け与えられる「愛の心」は、真の家庭から始まります。
🌹家庭が大切なのには、もう一つ理由があります。💜家庭は世界に拡大するから大切なのです。真の家庭は、真の社会、真の国家、真の世界の始まりであり、平和世界、神の国の出発点です。♦父母は息子娘のために、骨が溶けてなくなるほど働きます。しかし、単純に自分の子供だけに、食べさせようと働くのではありません。💛あふれるほど愛を受けた人は、人のために、神様のために働くことができます。
🌹家庭は、あふれるほど愛を与え、また与える所です。♦家庭は家族を包む囲いであって、愛を閉じ込める所ではありません。かえって家庭の愛は、外にあふれ出て、絶えず流れていかなければなりません。💛いくら愛があふれ出ても、家庭の愛は渇くことがありません。神様から受けたものだからです。💜神様から与えられた愛は、いくら掘り出しても底が見えない愛、いや掘れば掘るほど、もっと澄んだ泉があふれ出てくる、そのような愛です。♦その愛を受けて育った人は、誰でも♦「真の人生」を生きることができるのです。
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