【イエス様の生涯と愛】文鮮明師が初めて明かすイエス・キリストの実像(3)文鮮明師み言葉集より

   ☆🐟☆🐟☆ イエス様復活後のキリスト教 ☆🐟☆🐟☆

西に広がったキリスト教

 🌹神様の摂理歴史を聖書の歴史しを通して伝播(でんぱ)してきたものが中心的な教理であるならば、その教理において、これを未来のものとして残さなければならない、一つの最後の言葉が残っていなければならないのです。

 🌹イエス様が来て、国家的な基準で一度も勝利できなかったので、国家的基準で勝利できる愛的防衛をしなければならないのです。ユダヤ教を四千年間準備してイエス様を送るとき、ローマ帝国の迫害を受けていた歴史時代に、イエス様を中心としてユダヤ教が協助しばていたならば……。中東地方は、本来イスラエル民族の十二部族に割り当てられて祝福されたでしょう。 その時に、イエス様をユダヤ教が支持していたならば、中東は一つになっていたのです。

 🌹中東が完全に一つになっていれば、中東以外のインドや中国――インドと中国は宗教文化圏です――が、そこに吸収されていたでしょう。エス様が神様の愛の道理をもって来たでしょう。 今日統一教会が現れ、繰り広げていくそれ以上の版図をもって、インドの仏教文化圏を吸収し、中国の儒教文化圏を吸収していたでしょう。吸収して余りあるというのです。そうなっていたら、ローマは自動的に屈服したのです。そうしてローマに、西の方に行くのではなく大陸に、東の方に進出して……。地球星(ぼし)の中心は大陸ではないですか。大陸を理想的舞台にしようとしたのです。(138‐261、1986.1.24)

 

ローマに入ったキリスト教

 🌹本来の神様の計画によれば、キリスト教は東洋に来なければなりませんでした。そのようなキリスト教は、アラブ圏やイスラエル民族が、反対することによって道が塞がれてしまい、またローマ帝国の直接の指揮下にあったので、ローマ帝国に対して勝利しなければならなくなりました。また戦っていかなければならなかったのです。世界のカインと戦って勝たなければならなかったのです。 

 🌹それですべての冷遇を受けながら、信義の人、心情の人、理想の人になって、下部階級からカタコンべ(ローマの初期、キリスト教徒の共同墓地)に入って、一番下から上がってくるのです。上がってきてローマ帝国を消化したのです。そこで初めてローマ帝国キリスト教を歓迎することにより、全世界はローマの指揮下に入っていきました。

 🌹そのようなことは、エス様が生きて果たすべきことだったのですが、死んでから果たされたのですエス様が死なずに果たしていたならば、天下が統一されていたはずなのに、イエス様が死んだ後に果たしたので、霊的キリスト教文化圏世界としてローマに入り、霊的に世界制覇時代に入ったのです。これが中世時代、法王を中心として全世界をローマが統治した時代なのです。カイン王アベルが交替していれば、世界がすべて天の側になるはずだったのです。(106‐186、1979.12.30)

          ※中略

 🌹ところがキリスト教というのは、霊的基盤を中心としたものです。エス様の体が侵犯を受けたので、霊的基準で復活したその復活基準を中心としてキリスト教は出発し、ローマ帝国に行って四百年間戦ったのです。そうして霊的にキリスト教文明をつくり上げたのです。

 🌹それでは、実体的基盤のないキリスト教がすべきこととは何でしょうか。個人的な蕩減(とうげん)家庭的な蕩減、氏族的な蕩減、民族的な蕩減を、霊的にでも再びしなければなりません。このような問題が起きるのです。

 🌹ですからキリスト教全体がローマに入って、個人的に犠牲になり、家庭的に犠牲になり、氏族的に、民族的に犠牲になる、そのような供え物の過程を通過しました。イスラエル民族は個人的にヤコブが勝利し、あるいは氏族的にモーセが勝利しましたが、キリスト教徒は、そのような実力以上の実力をもって怨讐(おんしゅう)に屈せず、自己の生命を捧げ最後まで主体的思想を引っ張ていったのです。そのようにしてローマ帝国をひっくり返したのです。

 🌹四千年の歴史を四百年で蕩減したのです。あらゆる犠牲に遭いながら、打たれれば打たれるほど福を奪ってきたのです。四千年の福を引き継いだのです。このようにして、天の側において、福を受けられる蕩減条件が立てられたその時から、初めてローマを屈服させ、一つのキリスト教中心国家を形成したのです。

 🌹その時のキリスト教徒は知りませんでしたが、エス様が死なずに成し遂げるべきだった福を、サタンが持ち去って行ったのです。ローマが奪っていった立場にあったのです。それゆえ、それを取り戻すためには、それだけの代価を払わなければならなかったのです。そうせずしては、天の側に取り返してこれないことは当然のことです。

 🌹キリスト教の思想は、どこにあるのでしょうか。ローマ帝国から戦ってきたその思想、すべての使徒たちが立てたその思想を受け継いで世界的な伝統に移し、一元化されたキリスト教文化圏を形成しなければならないのです。そうすることによって、それからはローマ民族、イタリア民族が、初めて神様のみ旨の前で、世界を支配し得る中心民族になるのです。神様はイスラエル民族に世界を任せて失敗したので、イタリア民族を中心として、世界を制覇しようとされたのです。

 

☆国を見つけられなかったキリスト教徒たち

 🌹エス様は、この地上に国を探し出すために来られました。一つの国を探しに来られたのです。しかしエス様は、その国を霊肉合わせて探し出すことができず、ただ霊的にのみ探し出しました。それゆえ、今日のキリスト教は、この地上に実体の国がないのです。これは神様がこの地上において、いかなる国、いかなる民族を中心としても、「愛する私の国、愛する私の民族」と呼べないことを意味します。

 🌹いまだに神様の国の土台が、この地に立てられていないということを意味するのです。もしその時、イスラエルの国が、イエス様を中心として一つになっていたならば、息子であるイエス様を中心としたその国が神様の国なので、神様はその国を中心として世界を復帰されたはずです。しかしこの地を中心として霊肉合わせて団結させようとした土台が、イエス様が死ぬことによって、つまり実体を失うことによって、霊的にのみ復帰されたのです。

 🌹したがって、今までキリスト教徒たちは、国がなく主権のない民のような立場なので、どこに行っても迫害され殺されていったのです。殉教の血を流すことによって発展したのです。それはなぜでしょうか、そのように植え付けたキリスト教であるがゆえに、そのように殉教の血を流さなくては発展できないのです。今や血を流しながら迫害された時期は終わったのですが、それはそのまま死んで無くなるのではなく、キリスト教の霊的基盤を中心として、失った実体の国を世界的に探し求めて築くために、その国を敬い慕い、主を待ち焦がれながら生まれたのが、まさに再臨思想なのです。

 🌹しがって主は、この地に来られれば何をすべきでしょうか。一つの国を中心として世界的な蕩減を成し遂げなければなりません。そのためには、主を中心として一家庭をつくり、神様がその家庭を愛することができなければなりません。さらにはその家庭を中心として一つの氏族をつくって、神様がその氏族を「私の氏族」、その氏族を中心としてつくった民族を「私の民族」、その民族を中心としてつくったその国もまた「私の国である」と、サタン世界に打ち出せる国につくり上げなければなりません。それがまさに、神様の摂理歴史であることをはっきりと知らなければなりません。(22‐300、1969.5.4)

 

エス様の志操を受け継ぐべき我々

 🌹私たちがイエス様の三十年余りの生涯の人格を探ってみると、エス様は当時に限定された一個人の人格者ではありませんでした。彼の人格は、自分の一身の人格というだけではなく、四千年の歴史に代わる天的な価値の人格であったのです。このことを皆さんは悟らなければなりません。

 🌹エス様が主張された理念は、どのようなものだったのでしょうか。数多くの預言者や烈士たちが、歴史的に願ってきた理念であると同時に、摂理の目的を成し遂げるための創造主の理念だったのです。そのような使命を完遂するために、血の涙の出る道を歩んだイエス様の生涯でした。

 🌹したがって、不変の心でイエス様の理念と生涯を通して、彼の志操と人格を見習わなければなりません。そしてイエス様が四千年の歴史に代わって、天倫の志操立てるために、無限の闘争も意に介さず戦ってこられたように、皆さんもそのイエス様が残した使命を受け継ぎ、二千年を加えた六千年の歴史に代わって、不変なる志操の心を備えた人格者として、天の前に現れなければならないのです。

 🌹もし、そのような皆さんになることができないならば、天倫に代わる理念、イエス・キリストが願われた理念、今日私たちが探し求めている理念とは、永遠に関係を結ぶことができないのです。これを肝に銘じなければなりません。

 🌹ではイエス様は、どのように生きたのでしょうか。エス様はひたすら神様のみ旨を自分の生涯の目的として、「そのみ旨が成就するまで、全体に責任を負います」と天倫の前に誓ってからは、自分の安楽を考えず、志操を守る生活をされました。

 🌹それならば神様は、どうしてイエス様を万民の救い主に立てることができたでしょうか。四千年の歴史の過程を経てきながら、イエス様お一人だけが、神様のみ旨のために全体の生涯を捧げ、創世以後初めて、神様のみ旨のために忠誠と志操を守ったからです。そうしてイエス様は、永遠のメシヤとして立てられ、モーセを中心に受け継がれてきた摂理歴史が、イエス様の理念を通して新たな段階に入ったのです。

 🌹最後の審判を控え、無限の恐怖のゴルゴダの峠を越えなければならない「終わりの日」に処した今日の皆さんにおいて、皆さんの訴えを何によって終わらせることができるでしょうか。これまでこの地にあった理念ではできないでしょう。それゆえ私たちには、塞がれている私たちの行く道を切り拓いてくれる、一つの中心存在が必要なのです。歴史的に見れば、神様も当時の理念としては不可能だということをご存知であったので、神様の摂理を指向する数多くの宗教を通して、摂理の中心人物を送ろうと約束してこられたのです。それがすなわち再臨思想なのです。

 🌹今や私たちは、神様に対して、あるいは被造万物に対して、相対的な価値基準に立っていてはいけません。絶対的な神様の人格と、絶対的な神様の不変の理念と、天的な生活の理念に代わる中心をもった者として、神様のみ旨の通りに、初めと終わりが永遠に関係を結び得る立場に立って、万物万象の前に自分の価値を表すことのできる、私たちとならなければなりません。

 🌹そしてそのような人間になることができるように、導いてくれる真理を探し求めなければなりません。そのような真理を探し出すために乗り出した皆さんであるならば、何よりもエス様の願い、エス様が願われた理念、エス様の生活の標準を受け継ぎ、そこに新しい理念を加えられなければなりません。さらにまた、活動舞台を自ら探し求めて行かなければなりません。

 🌹そうして理念的な基準と実践的な基準を備えて、すべての面で統率できる絶対的な位置を自分たちが見つけ、「終わりの日」に天が探そうと願われる人格者、天上の全体目的に代わり得る、真の人にならなければなりません。そうでなければ、自ら悔い改める心情を持つ人にならなければなりません。

 🌹今日私たちは、個人であっても個人として終わってはいけません。私たちが信じているキリスト教も、民族と国家のための宗教にのみ留まってはならず、世界と人類のための宗教にならなければなりません。また人類歴史に代わることのができ、人類の歴史的な願いに責任を負えると同時に人倫と天倫の理念に代われなければなりません。

 🌹そのような歴史と歴史的な願いと、人倫と天倫の理念が、皆さんが生活する環境と因縁が結ばれていることをはっきりと感じなければならず、不変の人格者として、願いの実体として、二千年前に来られたイエス様の前に恥じることなく現れて、「主よ、あなたの願いはこうではないでようか。私がかなえてあげましょう」と言えなければなりません。

 🌹そして私たちは、天倫の原則にのっとり、変わることのない志操をもって、天のみ旨のために責任を全うした後に、「天よ、お受けくださいませ」と祈られたイエス様を回顧してみなければなりません。(2‐340.1957.8.4)

 

 

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