【平和を愛する世界人として】 第二章・神の召命と艱難(6)

             ☆☆☆ 穏やかな心の海 ☆☆☆

 🌹日本が始めた大東亜戦争の戦況は日増しに切迫していきました。切羽詰まった日本は、不足する軍人の穴を埋めるために、健康な二十歳以上の学生を休学させて、学徒兵として出征させました。そのため、私も六月早く卒業することになりました。

 

 🌹1943年9月30日に卒業して、故郷の家には「崑崙丸(こんろんまる)に乗って帰国する」と電報を打っておきました。ところが、帰国船に乗ろうとした日、足が地に付いて離れないという不思議な現象が起きました。出港する時間はどんどん迫ってくるのに、どうしても足を離すことができず、結局、崑崙丸に乗り損なってしまいました。

 

 🌹「崑崙丸に乗るなという天のみ意(こころ)のようだ」と思った私は、しばらく日本に留まることにして、友人たちと富士山に登りました。数日後、東京に戻ってきてみると、世の中は上を下への大騒ぎになっていました。私が乗ろうとした崑崙丸が撃沈されて、韓国に帰る乗船者のうち五百人以上が死んだという話でした。崑崙丸は、当時の日本が誇る大型高速船でしたが、米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没してしまったのです。

 

 🌹息子が乗る船が沈没したという知らせを聞いた母は、確かな情報を得るため、そのまま履物も履かずに定州邑(チョンジュウブ)の中心街まで二十里(約八キロメートル)の道を走っていきました。足の裏に太い棘が刺さったことにも気づかないで、魂が抜けたように私の名前ばかり呼んだそうです。その後、汽車に乗って釜山に下っていきました。釜山の海洋警察署に到着してみると、乗客者名簿に息子の名前はなく、東京の下宿からはすでに荷物をまとめて出発したと連絡を受けていたので、呆気にとられるばかりでした。

 

 🌹日本留学を終えて祖国に帰ってきたものの、それまでと何も変わるところがありませんでした。日本の圧政は日々激しくなり、国土は血の涙に濡れていました。私はソウルの黒石洞(フクソクトン)に再び腰を落ち着けて、明水台(ミョンスデ)エス教会に通いながら、日々新たに悟るすべての内容を几帳面に日記帳に書き留めることにしました。悟りの多い日は、一日で一冊の日記帳を使い切ることもありました。そうするうちに、数年にわたる祈祷と真理探究の総決算ともいうべく、それまでどうしても溶けなかった疑問についに答えを得たのです。それは一瞬の出来事でした。あたかも火の塊が私の体を通り抜けたかのようでした。

 

 💜「神様と私たちは父と子の関係である。それゆえ、神様は人類の苦痛をご覧になって、あのように悲しんでいらっしゃるのだ」

 という悟りを得た瞬間、宇宙のあらゆる秘密が解かれました。

 🌹人類が神様の命令に背いて、堕落の道を歩む中で起こったすべての出来事が、映写機が回るように私の目の前にはっきりと広がりました。目から熱い涙がとめどなく流れ落ちました。私は膝まづいてひれ伏したまま、容易に起き上がることができませんでした。子供の頃、父に背負われて家に帰った日のように、神様の膝に顔を伏せて涙を流したのです。イエス様に出会って九年目にして、ようやく父の真の愛に目覚めたのでした。

 

 🌹神様は人類始祖アダムとエバを創造された後、生育し(人間として成熟)、繁殖(家庭を築き)、平和世界を築いて暮らしなさいと祝福してくださいました。しかし、アダムとエバは神様の定めた時と戒めを守ることができず、不倫を犯し、それによって二人の息子カインとアベルを生みました。堕落の落とし子となった息子たちは、互いを不信し、兄弟間の殺人を犯してしまいます。こうして平和は破れ、罪が世界を覆い、神様の悲しみが始まりました。ところが、人間はメシヤ(救い主)たるイエス様を殺すという大罪を再び犯してしまったのです。それゆえ、今日人類が被っている苦痛は、当然通過しなければならない贖罪(しょくざい)の過程であり、神様の悲しみは依然として続いているのです。

 

 🌹神様が十五歳の私に現れたのは、人類始祖の犯した罪の根が何であるかを伝え、罪と堕落のない平和世界を築こうとされたためでした。人類が犯した罪を贖罪し、太古の平和世界を復元するようにというのが、私が神様から授かった厳重なみ言(ことば)でした。神が願う平和世界は死んでから行く天国ではありません。神の願いは、私たちが生きるこの世の中が、太古に創造されたその場のように、完全に平和で幸福な世界になることです。神は人類に苦痛を与えたくて、アダムとエバを誕生させたわけではないのです。私はこの驚くべきみ言を世の中に伝えなければなりませんでした。

 

 🌹宇宙創造の秘密を解明すると、💜私の心は海のように穏やかになりました。私はぼろを着て下を向いたまま歩き回りましたが、💛心はあふれんばかりの神のみ言に満たされ、私の顔からは喜びの輝きが消えませんでした。

 

 

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                        ☆☆☆ 人間の責任分担と堕落 ☆☆☆

 🌹罪の基盤、堕落の基盤、悪の基盤、地獄の基盤、このようなものが具体的にどのように生じるようになったかということが問題です。これは、アダムとエバまで戻って考えてみなければなりません。アダムとエバがなぜ堕落したのかという根源を掘り返してしてみれば、アダムとエバは、神様が命令した「善悪の実を取って食べるな」というみ言を不信して堕落しました。二つ目は、自己中心的だったことです。三つ目は、自己を中心として愛そうとしたことです。これが堕落した中心的骨子の内容なので、この内容のようにするのはサタン側であるという結論が出てくるのです。堕落した人々は、不信の愛、自己中心の愛で愛した人たちです。結局、自己中心の愛を主張するのがこの世界の人々だと見るのです。

 

               ☆☆☆ 堕落の動機と理由 ☆☆☆

 🌹聖書には、善悪の実を取って食べたと書かれています。そして、「口にはいるものは人を汚すことはない」(マタイ15・11)とあります。善悪の実を取って食べるなら、目で見て、その次には手で触って口に入れなければなりません。ところが、善悪の実を取って食べた後、どうしましたか。口や手、目を隠すのではなく、下部を覆ったのです。全く関係ない部分を覆ったというのです。天使と姦淫をしたという事実と、エバが下部を覆ったという問題を見るとき、私たちはここに共通した内容があると考えざるを得ません。エバは善悪の実を取って食べてから恥ずかしいことを悟り、アダムに善悪の実を取って食べるように強要しました。エバは天使と不倫の性関係を結んだ結果、自分の本当の夫が天使長ではなく、アダムであることを知ったのです。神様のみ前に帰らなければならない自分自身が恐ろしいので、自分がとどまることのできる場所を探すためにアダムを誘い出したのです。そうしてアダムとエバの二人の関係を結び、二人とも下部を覆って隠れました。覆ったという事実は、結局、恥ずかしい所ができたということです。すなわち、神様のみ前に見せることのできない科ができたということです。

 

 

 🌹男性は女性の、女性は男性のために生まれたのですが、自体自覚ではない他我自覚(他と我は一つだという自覚)をして、自体自覚が再認定されれば、二人の所有権と勝利圏が備わるのです。しかし、相対圏の二人の価値を融合させる前に、自体自覚をして行動に出てしまったのが堕落です。なぜそれによって、神様がこのように手を付けられず、無力になったのでしょうか。堕落というのが、なぜそれほどまでに深刻かというのです。善悪の実を取って食べたなら、なぜ下部を覆ったのですか。血を汚したのです。血を汚したというのは生命を汚したことであり、生命を汚したということは愛を汚したということです。天地大道の神経器官になるべき人間が、未成年期に堕落しました。誰が彼女を奪ったのですか。僕である天使長が、神様の娘、未来においては神様の妃になることができ、神様の外的な体になることができるエバを奪ったというのです。血統を取り替えたのです。

                【天聖経・第四編・第二章人間の責任分担と堕落】より