大宇宙と小宇宙 被造世界と人間の位置【天聖経・第一章 第五節より】

 ☆☆☆人は大宇宙の縮小体です。皆さんが小宇宙です。大宇宙は被造世界です☆☆☆  作用の源泉、力の源泉は神様です。「私」は大宇宙の前に立った一つの小宇宙として、大宇宙の絶え間ない力の源泉になるその力が、私の心に入ってくることにより、この大宇宙と相応する相対の価値を持っているのです。ですから人間は宇宙の花と言えるのです。

 

 🌐人間は万物の霊長だと言いますが、「霊長」という言葉は、必ず中心に立って全体の価値を身代わりすることができてこそ、語ることができるのです。優れた人であろうと、そうでない人であろうと、人間は世界的な中心になろうとする欲望があります。無限の価値をもった中心になりたいと思うのです。ある存在があれば、その存在の中の最高の存在になりたいと思い、また絶対的な中心があれば、その中心と一つになりたいと思うのです。このように、より優れた価値と関係を結びたいと思うのが人間の心です。それは本来、人間が歴史時代の全体価値を代表する中心的価値をもっているからです。

 

 🌐神様が人間を万物の霊長として立てるとき、天地のすべての環境を代表したその中心として立てました。そのため、すべての人間は、宇宙の中心になろうと主張できる自主権をもっているのです。それは、猿の世界やライオンの世界、虎の世界にはありません。人間世界にだけあるのです。

 

 🌐万物の根本となる霊長は神様です。人間には霊があります。人間はその霊の中の長であるため、結局、神様と直結させて霊長と言うのです。万物の霊長は、人間それ自体だけではなることができません。人間も被造物なのに、どのようにしたら万物の霊長になれるのかというのです。

 

 🌐被造物とは「相対的結果体」です。被造物としてだけでは原因に通じることができず、原因を占領することができません。被造物は原因によって占領されるようになっているのです。人間が「結果的存在」であるのは間違いありません。霊長の長は、霊の中で中心であるということです。この言葉は本来、神様と人間が一つになった関係を指して語る言葉なのです。

 

 🌐体のことで動物と人間が違うのは何でしょうか。食べるのも同じで、寝るのも同じです。服を着たりすることは違いますが、あとは同じだというのです。目と鼻の形、構造を見れば、大した違いがありません。人間は霊と肉が合わさって、一人の人間になっています。

 🌐しかし、肉的な生活、肉だけをもって生きる生活は、動物的な生活とあまり違いがありません。食べて寝て、また食べ物のために活動するのは同じなのですが、人間と動物の違いは、この宇宙世界において異なる価値をもたらす、貴い価値をもたらす者になるということです。貴い人というのは肉的な人ではなく、神霊的な人です。神霊的な方が貴いというのは、肉的なものとは異なるということです。違わなければならないのです。

 

 🌐猿と人間は根本が違います。猿はただ食べて寝て、子供を産むのが第一です。人間とは種(しゅ)が違うのです。人は自分を中心とするのではなく、他の人を中心として、より大きなものを中心として願いを持ちながら生きるようになっているのであって、自分よりも低いものを願いながら生きるようにはなっていません。次元が違うというのです。人間は生まれたときから神様をあがめてきました。神様をあがめない種族はいません。神様を考え、人間がより良くなれる宇宙を思いながら生きてきたというのです。

 

 🌐人は自分一人ではありません。宇宙共同の縁を総合した結果体として現れたのが人間です。このような人間には、万物を総合した形がすべて入っており、私たちの先祖から受け継いだ、数多くの先祖のすべての性質が投入されています。顔を自分の顔のように感じていますが、その顔になるまで数万年の歴史を経てきたというのです。数万年かけて先祖の血を受け継ぎ、そのようになったというのです。奇跡的な実態です。それだけでなく、その背後に天との縁が付いてきたために、その人が残ったというのです。天から見るとき、無限の曲折を経て今日の自分がつくられたというのです。万物のすべての関係的存在が投入され、投影された実体が自分だというのです。

  

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    🌺《是非読んで頂きたいお薦め著書》🌺

💛バイオテクノロジーの世界的権威者・筑波大学名誉教授村上和雄氏が、科学者の立場から宇宙と地球と生命の問題を、著書「生命の暗号」②[The Divine Gode of Life]:遺伝子はそれぞれの人の「生き方の設計図」である(サンマーク文庫)の中で、著書の締めくくりとして語られています。神秘的な世界を著書の言葉を一部お借りして、少し長くなりますが、そのままお伝えさせていただきます。☆☆☆

 

 🌏💛NASA元主任研究員で宇宙物理学者の桜井邦朋氏と対談する機会があったのですが、桜井氏は「宇宙誕生の最初の三分間が分からない」という興味深いことを述べられておりました。

 🌏ビックバンから三分経ったそれから後のことは現在に至るまで、宇宙がどう進化、発展してきたかについて、だいたい科学的に説明がつくまでになっている。しかし、ビックバン直後の三分間に何が起こったのか。それはいまだ明らかになっていないというのです。

 

 🌏ここでいう三分間とは、宇宙の起源の冒頭の一瞬ということの数字的な比喩(ひゆ)だと思いますが、宇宙、地その一瞬に何が生起したのかはまだ解明できていない。しかし、もし爆発のタイミングがほんのわずかでも狂っていれば、いまの球、生命はありえない。あるとしてもまったく違う形で存在することになっただろう。

 🌏タイミングだけでなく、その空白の三分間に生まれたであろうすべての物質や生起した出来事の、さじ加減がわずかでも異なっていたら、やはり現在のような宇宙や生命の形はなかった。そこにちり一つまじっていただけで地球は生まれなかったし、人類も誕生しなかったかもしれない。

 そういう意味のことを述べられて、そこに桜井さんは偶然ではなく、「宇宙の意思」を感じとるとおっしゃったのです。私はそれを聞いて、知的興味よりもむしろ感動を覚えました。

 

 🌏現在ある宇宙、そこに含まれるすべての天体と生きている全生命が織りな成す絶妙なバランス。それは偶然できあがったと考えるより、何か大きな意思によって創造されたものと解釈したほうがはるかに自然であり、辻褄も合う。それほど宇宙はあまりに絶妙に調和している――このことは、私が遺伝子という超ミクロな世界で日々実感していることと、まったく同じだからです。

 🌏たとえばⅮNAの二重らせんの美しさや遺伝子の働きの精巧さは、とても偶然の産物とは思えません。宇宙と遺伝子は、超マクロ超ミクロという正反対のものでありながら、そこにいずれも偉大な力を想定したくなるほど精巧な仕組み、絶妙な調和を共通して感じることができるのです。

 

 🌏ときとして、その絶妙さが宇宙と遺伝子という両極端のものに現れているのには、何か意味があるのではないかと思うこともあります。その二つは極大と極小で「意味ある相似形」を描いている。対外宇宙と体内宇宙は呼応しながらつながっており、その起源も同じ、ある同一の意思から発せられたものではないか。その意思を発した主体こそが宇宙と生命の源であるサムシング・グレート(偉大なる何ものか)」である。そんなふうに思えるのです。

 🌏そしてもし、宇宙と遺伝子の起源が同じものであるなら、遺伝子は、すなわち私たちの生命は宇宙の意思や自然の摂理によって生まれ、生かされていることになるのです。

 

 🌏いま急速な勢いでゲノムが解読され、遺伝子の働きが解明されつつあります。生命の暗号の解読によって、人間は「生命とは何か」という生命自身にとって最大の疑問を解く端緒をつかみ始めているのです。

 🌏いつになるかわかりませんが、その全部の暗号を読み終えたとき、遺伝子の不思議や宇宙の起源の秘密も含めて、生命に関する解答の一端を私たちは知ることになるはずです。生命とは何か。生命の本質は何で、究極の姿はどうなっているか。それはどこから来て、どこへ行くのか。生の目的は何か。死の意味は何か。そういう生命の原理の一部が明らかになるはずだと期待されています。

 💛同時に、その生命の設計図の中に「サムシング・グレート(偉大なる何ものか)」の「指紋」を発見するとともに、その意思の一部も、私たちは読み取ることになるかもしれません。その日をできるだけ早く到来させるために、私も当事者の一人として、常に感動を忘れずに研究を続けていきたいと考えています。

                   

 

 

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