【平和を愛する世界人として】第七章・理想郷に向かって(13)

    ☆🐟☆🐟☆ 幸福の源は「為に生きる」人生 ☆🐟☆🐟☆

 🌹子女は両親の血と肉を受けて生まれます。両親がいなければ子女はいません。ところが、この世の中に一人で生まれたかのように個人主義を主張する人がいます。誰からも何の助けも受けない人だけが個人を主張し、個人主義を語ることができます。世の中に自分だけのために誕生したものは何もありません。あらゆる被造物は、お互いのために誕生しました。私は貴方のためにいて、貴方は私のためにいるのです。

 

 🌹自分だけのために生きる利己的な人生ほど、愚かな人生はありません。利己的な人生は、自分のために生きているように見えますが、究極的には自分を破壊する人生です。個人は家庭のために、家庭は民族のために、民族は世界のために、世界は神のために生きなければなりません。

 🌹私が建てた学校には、どこでも三つの標語が掲げられています。🌷一つ目が「昼十二時のように影のない人生を生きなさい(正午定着)」です。影のない人生とは、すなわち良心に引っ掛かることがない人生です。地上での人生を終えて霊界に入って行けば、生涯、自分が生きてきた人生が、録画テープが回るように展開します。天国に行くか地獄に行くかは自分の人生によって決定するのです。ですから、一点の影もない綺麗な人生を生きなければなりません。

 

 🌷二つ目は「汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流して生きなさい」です。人間が流す血と汗と涙は偽りではありません。すべて真実です。しかし、自分のために流す血と汗と涙は無意味です。血と汗と涙は人のために流さなければなりません。

 🌷最後の三つ目は、「One Family Under God!(神の下の人類一家族)」です。神様は唯一のお方であり、人類は兄弟姉妹です。言語と人種と文化の違いはあっても、すべて同じなのが人間です。

 

  🌹南太平洋には全部で十四の島国があります。その中のマーシャル諸島共和国に行って大統領に会ったとき、私が尋ねました。

「本当に美しい島ですが、国を導いていくのに、困難が多いのではないですか」

 すると大統領は大きく溜め息をつきました。

🌹「人口もわずか六万人だけで、島で最も高い所が海抜二メートルに過ぎず、海面が一メートル上昇しても国全体が水浸しになってしまいます。しかし、最も深刻な問題は教育です。裕福に暮らす家の子どもたちは皆、アメリカやヨーロッパに行って教育を受け、故郷に戻ってきません。貧しい家の子どもたちは、きちんとした教育を受ける学校がないので、いくら優秀でも指導者になる素質を積み上げることができません。結局、私たちのような島国の悩みは、未来を導いていく人材を育てることができないことなのです」

 

 🌹マーシャル諸島共和国の大統領の嘆きを聞いた私は、すぐにハワイのコナに島国の子どもたちのための、「ハイスクール・オブ・ザ・パシフィック」という学校を建てました。各国から選ばれた子供たちに高等教育を受けさせ、必要であれば大学への進学も支援します。ハワイまで行き来する飛行機代、学費、寄宿舎費を提供することはもちろん、コンピューターも導入して最高の教育をします。島国の学生たちを勉強させるのに条件はたった一つ、学業を終えたなら必ず自分の国に帰り、国と民族のために奉仕しなければならないということです。それが唯一の条件です。

 

 🌹「為に生きる」人生を生きるということは、時として個人の犠牲を前提とします。数年前に我が教会の宣教師が南米を巡回する途中で、大きな地震が起きたことがあります。宣教師夫人が真っ青になって私を訪ねてきました。「どうすればよいですか、先生。余りにも心配でどうしたらよいのか分かりません」と言って涙ぐんでいるのです。それを見た私は、夫人の肩をたたいて慰労するどころか、怒鳴りつけました。

「今あなたは夫のことを心配しているのか? それとも夫が修羅場で何人の命を救っているだろうかと心配しているのか?」

 

 🌹夫の安否が心配なのは当然です。しかし宣教師の夫人ならば、それ以上のことを心配できなければなりません。夫の安全を守ってくださいと祈祷するのではなく、夫がより多くの命を救えるようにしてくださいと祈祷しなければなりません。

 🌹この世の中に、自分だけのために存在するものは一つもありません。神様はこの世界をそのように創造されていないのです。男性は女性のために存在し、女性は男性のために存在します。自然は人間のためにあり、人間がまた自然のためにいるのです。この世界のあらゆる被造物は、相手のために存在し作用します。ですから相手のために生きなければならないというのが天の道理です。

 

 🌹幸福は必ず相対的な関係においてのみ成立します。生涯を声楽家として生きてきた人が、無人島に行って声が嗄(か)れるほど歌を歌ったとしても、聞いてくれる人がいなければ喜びを感じることはできません。私がある相対のために存在しているという事実を悟ることは、人生の尺度を変えるような一大事です。私の人生が私だけのものではなく、誰かのためのものであるとすれば、今までの生き方とは違う道を模索して行かなければなりません。

 

 🌹幸福は、人のために生きる人生の中にあります。自分のために歌を歌ってみても、幸福感が湧き上がってこないように、自分のためのことには本心の喜びがありません。いくら小さくて、取るに足りないことでも、相手のために、人のために行うとき、相手から伝わってくる波動を受けて幸福を感じるのです。真の生きる原動力は「為に生きる」人生を生きるときにこそ、発見できるのです。

 

 

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