【平和を愛する世界人として】第四章・私たちの舞台が世界である理由(最終章)

  ☆ 🐟☆🐟☆ なぜ父が刑務所に行かなければならないのですか? ☆🐟☆🐟☆

 🌹ダンベリー刑務所でも、「為に生きる」という私の原則は何も変わりません。朝早く起き、汚れた場所をきれいに掃除しました。食堂に行っても他の囚人は、テーブルに鼻をつけて寝ていたり、世間話をしたりするのですが、私は必ず背筋を伸ばして順番を待ちました。与えられた仕事は他の人よりも多くこなし、周りの人の世話をしました。余った時間には私自身の説教集を読みました。夜でも昼でも説教集を読んでいるので、ある囚人が、「それがおまえの聖書か。おれの聖書はこれだが、一度見てみるか?」と雑誌を放り投げてきました。『ハスラー』というポルノ雑誌でした。

 

 🌹ダンベリー刑務所の中で、私は「黙って働く人」「本を読む人」「瞑想(めいそう)する人」と呼ばれました。そうやって三ヵ月が経つと、監獄の中の囚人や看守とも親しくなりました。麻薬で捕まった人とも親しくなり、ポルノ雑誌を自分の聖書だと言っていた囚人とも親しくなりました。さらに一月(ひとつき)、二月(ふたつきが過ぎると、今度は収監されていた囚人たちが、自分に差し入れされたものを、私に分けてくれるようになりました。彼らと気持ちが通じるようになると、監獄の中に春の日が差してきたかのようでした。

 

 🌹ダンベリー刑務所の囚人たちは、慕わしさに飢えた人々です。私は言葉を一言語るにしても、彼らの思いを推し量るように真心で語りました。ですからみな、私の近くに来ようとしたのです。ご飯を食べるとき、最初は私一人で食堂の隅に行って食べました。ところが、約三ヵ月後には、食堂に行けば、私がよく座る場所をあらかじめ把握し、それを囲むように他の人々が座っているのです。私が座るイスをみると、座る場所がないほど人が集まってしまうのです。私が他の場所に行って座れば、元の場所を離れて、また私の回りに移動してきます。このようなことが起きました。

 🌹それは嫌いだからそのようにするのですか、好きだからそのようにするのですか。心は天心に通じます。💛人は霊的な存在なので、自分を思ってくれ、自分のために尽くしてくれ、自分の行く道を明示してくれようとする、そのような正しい心が分かるというのです。

 ですから、言葉をもって伝道するのではありません。💜愛の心情があふれて流れれば、そこには花が咲くのです。冷たい風が吹いても、岩の間から花が咲きます。北極の氷山世界でも花が咲き、氷の中でも花が咲くというのです。1987年5月1日)

 

 🌹監獄に行くのは悪いことばかりではないと私は思います。涙の谷間で泣く人を悔い改めに導くには、まず私が涙を流さなければなりません。私がそれ以上の悲しみを持たなければ、その人の心を開かせ、み言を受け入れさせることはできないでしょう。

 

 🌹天の摂理は本当に奧妙(おうみょう)です。私が監獄に閉じ込められると意外にも、「宗教の自由」を侵害したアメリカ政府に対して、憤りを露わにした聖職者七千人以上が、私を救い出すために立ち上がりました。その中には、アメリカのキリスト教保守派を代表する南部バプテスト教会のジェリー・ファウエル牧師や、オバマ大統領の就任式の際に祝祷を捧げた、革新系のジョセフ・ローリー牧師(当時は南部キリスト教指導者会議議長)もいました。💜二人は救出運動の先頭に立ちました。娘の仁進(インジン・当時十九歳)も、彼らと腕を組んで一緒に行進しました。七千人以上の聖職者の前で、涙して書いた手紙を読み上げることもしました。

 

 🌹「皆さん、こんにちは。私は文鮮明牧師の次女文仁(ムンインジン)です。1984年7月20日は、世界の終末が私たち家族に訪れてきたかのようでした。この日、父は刑務所に入っていきました。このようなことが父の身に起きるとは夢にも思いませんでした。それも神が祝福した自由の地であり、父がとても愛し、奉仕してきたアメリカの地で起きたのです。

 父はアメリカに来てとても熱心に活動しました。私は、父が眠っている姿を一度も見たことがありません。常に早朝に起きて祈り活動しています。私は、アメリカの将来と神のために、父ほど献身的に活動する人を見たことがありません。ところが、アメリカは父をダンベリー刑務所に投獄してしまいました。父がなぜ刑務所に行かなければならないのです? 

 ♦父は自分の苦痛は意に介さない人です。神の御旨を実践してきた父の人生には、涙と苦痛が点在しています。今、父の年齢は六十四歳です。父にはアメリカを愛した罪しかありません。しかし、父は今この瞬間にも、刑務所の食堂で皿を洗ったり、床を磨いたりしています。先週私は、囚人服を着た父と初めて面会しました。私は、声を上げて泣きました💜父は『私のために泣かないで、アメリカのために祈りなさい』と私を諭してくれました。

 全世界数百万の教会員に語った話を、私にもそのまましてくれました。💜『おまえの怒りと悲しみを、この国を本当に自由な国にすることのできる強い力に変えなさい』。 💛父は刑務所の中で、いかなる苦労もし、いかなる苦痛にも耐え、いかなる十字架も喜んで背負うと話しました。『宗教の自由』はあらゆる自由の基礎です。『宗教の自由』を守るため父を支持してくださった皆様に、心から感謝申し上げます」

 

 🌹私は模範囚として認定され、六か月減刑されて、十三か月後に出監しました。💛刑務所の門を出ていった日の夜、ワシントンDCで出監歓迎晩餐会が開かれました。ユダヤ教のラビやキリスト教の牧師ら宗教指導者が千七百人も集まって、私を待っていました。私はそこで再び、「超宗教・超宗派」を主張しました。誰の目も気にすることなく、大きな声で世の中に向かって叫びました。

 

 🌹「神は宗派主義者でも教派主義者でもありません。教理の枝葉末節(しようまっせつ)にとらわれる神ではないのです。神の父母としての心情、そして大いなる愛の心には、民族と人種の区分がありません。国家や文化伝統の壁もありません。神はきょうも、万民を同じ息子・娘として抱くために努力しておられます。今、アメリカは人種問題、価値観の混乱と社会や倫理・道徳の退廃問題、霊的枯渇とキリスト教信仰の衰退問題、無神論に立脚した共産主義問題など、深刻な病弊を抱えています。私が神の召命を受けてこの国に来た理由はここにあります。

 🌹今日のキリスト教は、大きく覚醒し一つに団結しなければなりません。牧会者たちもまた、これまでの役割を再検討して、悔い改めなければなりません。エス様が来られて『悔い改めよ』と叫ばれたその時の情景が、二千年を経た今、この地上に繰り返されています。私たちは、神がアメリカに命じた重大な使命を果たさなければなりません。このままでは絶対にいけません。新しい宗教改革が起こらなければならないのです」

 

 🌹獄中生活を終えて出てくると、これ以上私を縛り付けるものはありませんでした。私は、以前よりもっと強い声で、堕落したアメリカに対して警告のメッセージを放ちました。神様に対する愛と道徳性を取り戻すことこそが、この国を再び立ち上がらせることのできる力だと、強く訴えました。

 

 🌹何らの罪もなく刑務所に入りましたが、神のみ旨はそこにもありました。私が刑務所に収監中から、私のために救出運動を起こした七千人を超す牧師たちは、代わる代わる釜山のポムネッコルとソウルを訪ねて来ました。一体レバレンド・ムーンのどのような精神がアメリカの若者たちをかくも引き付けるのか、それを知ろうというのです。彼らは短い訪問期間の中でも、わざわざ時間を割いて、教理を学んで帰りました。私は彼らを中心に、💛アメリカ聖職者連合会(ACLC)」を組織して、今も宗教と教派の垣根を超える信仰運動と平和運動を展開しています。

 

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